グローム・ケーブ(土蛍)
洞窟に生息する土蛍は発光器官を持った虫のことで、真っ暗闇の中に無数の青白い光が見え、まるで星のように美しい。
ワナカ湖ドライブ 公営のインフォメーションを訪ねたところで出会ったMr.Nunoiに案内され、周辺の湖をドライブしていただいた。 シールコロニー カイコーラ半島先端部のシールコロニーより、さらに牧草地の丘を進んで行くとカモメのコロニーがあり、 そこにアザラシがたくさん生息していた。浜辺に下りて眺めていると、NZ人の親子連れが双眼鏡を貸してくれた。 この場所は、この土地に詳しい日本人写真家のNさんに聞いて出かけた。 ホエール・ウォッチング($76.5) 12人乗りの高速ゴムボートに乗船して、時速80km/hで快適に飛ばして沖に出た。 しかし、肝心のクジラが見つからないので、ボートはエンジンを止めて木の葉のように大きな波間に漂った。 本来船酔いには強いはずの私ではあったが、とうとう酔ってしまい、海の中へ2回ももどしてしまった。 極度に船酔いしてしまったが、陸は遙か遠くて下船することが出来ない。とても辛い時間となった。 船長の合図でクジラが現れた事を知ると、お客はみんな一斉に歓声を上げてカメラのシャッターを切る。 へとへとになって苦しんでいた私も、その瞬間は立ち上がってカメラのシャッターを切る。 なぜかその瞬間は船酔いを忘れているのだから現金なものである。 黒い巨体を波の上に覗かせることしばし、鼻らしき所から豪快に潮を吹き上げる。 姿を消したかと思う間もなく、尻ひれを空に跳ね上げ、やがてどこかへ行ってしまう。 辛い船酔いをたっぷりと味わった後、岩山に寝そべるアザラシを見たり、イルカの群をしばらくし眺めて帰港した。 その後、カイコーラでは写真家のNさんとガールフレンドのY子さん、Kさんらと再会した。 夜には近くのバーに出かけ、ワインで乾杯。楽しいひとときを過ごした。 ネルソンのアーサー・ホワイト氏 ネルソンでは、写真家のNさんの案内で街中を歩いて回った。 Nさんの友人・アーサーさん宅を訪問するというので、私もついでについて行った。 アーサーは、一緒にいた私を快く迎えてくれた上、翌日の昼食まで招待してくれたのである。 アーサーはイギリス人で、25年前にNZに移住してきたらしいけれど、大の日本びいき。 日本へも再三訪れたことがあるらしく、特に、合掌造りの民家のたたずまいが好きのようだ。 ちなみに奥さんはハーブの研究家で、著書も何冊かあり、アメリカ、オーストラリアまで講演に行く位な方らしいけれど 気取らず私のために大変温かくもてなしてくれた。本当に良い方達であった。 次の日も、バイクツーリングで色々な所を案内してもらった。 ウェリントンのディック&シャリー父娘 ミルフォードトラック・トレッキングで同じツーに参加した仲間であり、 3泊4日のコースを歩いて交流を深めた、各国からの参加者の一組であった。 NZのウェリントンに住む公務員とか。 「ウェリントンに来るのならぜひ電話をして下さい。色々な所を案内しますから。」と言われ、ウェリントンに着いて電話をかけてみた。 電話には奥さんが出られて英語をペラペラしゃべられるので、こちらは閉口。 「ディック、プリーズ!」とだけ伝えると、今度はディックがペラペラとしゃべる。 「アイ・キャント・アンダースタンド!」と言うと、笑っていた。 とにかく「明日、9時にYHの前に車で迎えに行きます、シャリーと一緒にね!」は、やっと理解出来た。 ハチの巣型の国会議事堂、国立美術館(ちょうどイギリスロイヤル美術展を開催中)、ボタニックガーデン、 ケーブルカーなどを見て回り、郊外にあるディックさんのホリデイ用住宅も案内してもらった。 そこでは、大きな庭園にオレンジ、レモン、リンゴなどなどの果物がたくさん植えられていて、 その場でもぎ取ってごちそうしてくれた。とても新鮮でおいしかった。 オークランド→カイタイア間のプロペラ機 オークランド空港から飛び立つ飛行機は、バスより小さい15〜16人乗りぐらいのプロペラ機であった。 パイロットがプロペラを手で回し始めて間もなく、順調にエンジンが回り始めてから飛行機に搭乗してきた。 「大丈夫かしら?」と、ちょっと不安がよぎるが、すぐに空高く飛び出した。 緊張からか、すぐトイレに行きたくなったが、1時間の飛行ではトイレはなく、ここでもまた我慢を強いられた。 機内は寒くて冷えるし、もう限界かと思われた頃、カイタイアに着陸。やれやれ。 小さい飛行場なので、すぐトイレに飛び込めた。 空港は、なんだか地の果ての一角といった所で、他の乗客はみんなお迎えが来ていて、私を除いて誰もいなくなった。 売店にいた女性(店員)に「シャトルバスはありますか?」と訪ねたところ、「ある」と答えた。 しかし、待てども暮らせどもいっこうにバスは現れないのである。 「シャトルバスは本当に来るのかしら?」と思いつつ、不安になる。 街中へはかなり遠くて、とても歩いて行けそうにない荒野のまっただ中なのである。 そうするうちに、ビジネスマン風の若い男性がやって来た。 不安そうな私を見て「どうしましたか?」と尋ねてくれたのである。 「シャトルバスが来ないんです!」と私が答えると、先程の売店の女性に様子を聞いてくれ、 「シャトルバスはこれですよ。」と言って私のザックを抱え、オンボロ車に乗せてくれた。 さらに私を気遣ってくれ、「寒いから車の中で待っていなさい。」と言ってくれた後、 「私はあの飛行機に乗るので行きます。」と言い残して去って行った。 「サンキュー!」と心を込めてお礼を言ったのは、もちろんのことである。 カイタイアYHのマオリ族のオーナー マオリ族はNZの先住民族で、勇猛果敢であり、侵入者のイギリスとよく戦ったそうである。 優れた指導者がいて、100年先の将来を見通してワイタンギ条約を結んだおかげで、 現在のマオリの人たちの地位が保たれているとか。 カイタイアYHのオーナーは、そのマオリ族の子孫である。 今まで利用してきたYHのオーナーは全部白人であったが、ここでも何の偏見を持つことなく接することが出来た。 本当に優しい人で、YHを旅するホステラーの間でも評判の人らしい。 私にも大変優しく接してくれて、私が英語の分からない分、色々とお世話になり、感謝の気持ちで一杯である。 いよいよYHを発つ時、外国人のお別れの抱撫をして下さり、私もその温かさで涙がポロッと出てしまった。 カイタイヤ<Tu Tu bus>をフリーで観光 念願の90マイルビーチ・ツアーに参加してYHに戻ると、オーナーが 「明日、無料の観光バスがYHの前から出るから、参加するといいよ。」と教えてくれ、翌日参加した。 オンボロバスだが、車内は清潔。窓ガラスがないので、心地よい風が車内に入ってくる。 お客さんも満席。理由はわからないが、ビデオ撮りのスタッフも参加している。 走り出してからもドライバーが盛んに説明してくれているのに、さっぱり理解出来ないのが残念。 バスは高い山に向かって、凸凹の轍のついた道なき道をぐんぐんと高度を上げながら登って行く。 大きく右に左にバスが揺れて、隣の人の肩と肩がぶつかりそうになる。 時々バスを止めては、ビデオ撮りの男が、轍にはまったバスの様子を撮影している。 山の頂上でバスから降ろされた。周囲には木の株が立ち並んでいる。朽ちた木片も散らばっている。 「たぶん、火山の噴火で溶岩が流れた後かしら?」と勝手に解釈。 再びみんなが乗り込んで、今度はバスは浜辺へと下りて行った。 すばらしい海の色に見とれながら、バスはどんどんと下って行き、大きな砂浜を走りに走る。 大規模な砂丘を乗り上げたり下ったり、一方で黒服のビデオ氏は撮りまくる。 バスは再び浜辺に出て、波打ち際を走り抜ける。 波が、バスめがけて押し寄せたかと思うと、白いしぶきが散り、窓ガラスの無い窓から車内に入ってくる。 でも、大人も子供もみんな喚声をあげて大喜びするのであった。 帰り道、黒雲と一緒にスコールのような大雨がやって来た。 「このバスには窓ガラスが無いのにどうするの?」と考えていると、窓の所に巻き上げてあったビニールのすだれを下ろすよう指示された。 私にとってはミステリーツアーのような今回のバスツアーであったが、しっかり楽しんだ1日であった。 ケリケリYHにて ケリケリYHでイギリス人やオランダ人、ドイツ人の若者に接することが出来た。 日本人の若者が3〜4人いて彼らと親しくしていたせいで、年輩の日本人の私にもよく話しかけてくれた。 覚えたての日本語で「サカナ」「お元気ですか?」「こんにちは」「あなたは・・・しましたか?」等々。 同室のドイツ人の若い女性が私に興味を示して、「エリカ」と言う名前だとか、色々と話しかけてくれるので、 辞書を片手に一生懸命理解につとめ親しんだ。 オークランド・タウンホールのX'masパーティに出席 雪の降らない南半球の地・NZで「クリスマスはどのようにして迎えるのだろうか?」と思っていたが、 ショーウィンドウには、白い雪をあしらったクリスマスツリーの飾りがあり、トナカイはそりを引いている。 カップにキャンディを入れて、クリスマスツリー風にデコレーションしていてかわいらしい。 とてもあか抜けした飾り付けやグッズ、カードも色々とあって、街の中心には大きなツリーもあった。 街角では、バイオリンを抱えたかわいらしい少女がクリスマスソングを奏で、道行く人がお金をバイオリンケースに投げ込んでいる姿も見かけた。 そんな中、YHで知り合った人に、クリスマスディナー券をもらった。 私は、同室のオランダ系NZ人(65才)のダイアナと一緒にクリスマスパーティに出かけた。 パイプオルガンがクリスマスソングを演奏する中、次々と出される料理やアトラクションを楽しんだ。 外国でクリスマスパーティを経験出来るなんて、私には思いもよらなかったことであった。 |