旅日記_スイスにひとりで行ったんよ

8/21(土)晴れ(福岡は雨)
 広島駅11番ホームにて新幹線を待つ、今「のぞみ」が入って来た。ひかり51号まで待つ。
博多駅真正面の「サンライフH2」ビジネスホテルへと急ぐ、舗道が雨でぬれていた。
8時40分3559号室にに落ち着くテレビを見ると、なんとタイミングよくジュリー・アンドリュースがエーデルワイスを歌っている。


8/22(日)雨
 昨夜ホテルに用意されていた冷たい水と熱い湯のポット、両方とも空っぽにした。おいしい。
緊張で睡眠不足のワタシであったが、6時に起きて身支度、7時朝食を食べる。幕の内弁当、しっかり日本食。
苦手な魚を朝から食べるなんて、魚の骨と身の山を築いて早めに済ませた。
 AM7:30きっかりにホテルを出た。大雨なのに平気、ホテルの玄関から空港行地下鉄へ行けるようになっているのだ。
45リットルのぎゅうぎゅう詰バックパックを背負ったワタシ、本当に大助かり。
福岡空港にたどり着いて目的の場所(HIS指定のカウンター)へ来てみると誰もいない。
「そうなんだ8時30分が集合時間なんだ」と思うのだが初めての海外旅行、国際航空なんて緊張の極み、
それらしき場所のカウンターの職員へバウチャーチケット(クーポン券)を見せて
「ここでは無いんでしょうか?」
「間もなく職員が来ますよ、ご安心下さい。」と他の職員にも確認を取って丁寧に言って下さる。
どこの旅行会社の方か知らないけれどHISの職員が来るまで何度と無くワタシのそばに来ては
「大丈夫です、ここに間違いありませんからお待ちなってて下さい」その30分が長かったこと、
でもその人の優しい言葉かけでどんなに安心出来たか。

 担当の職員にいろいろ諸注意を受けて、もう夢心地で 手続きを済ませ、なにやらいかめしい顔つきの係官に出国のはんこを押してもらって、いよいよ大韓航空KE733便福岡10時発の搭乗を待つ。
家を出る時の約束どおり長男に「無事搭乗手続き」を終えたことを電話する。
KE733は15分遅れで10時15分うなり声と共に急上昇、体が後ろに倒れそう、耳はツンツン・・・・。
 雨模様の中、福岡空港を立つ。今離陸して8分経過、機体は前方を上に体は斜めになっている。空には雲多し。
9時35分、搭乗開始その前に嫌という程トイレに行くがちょっとしか出ない。
昨夜の寿司でのどがカラカラ、「サンライフH2]に着いてずっと水とお茶を飲み続けてしまった。
ホテルは夜中もドタドタ、ガチャガチャとうるさく、なかなか寝つけなかった。
座席は12H窓際。飲みものが配られる。ソウルでトランジット(乗換)、12:50乗り込む44G、寒い。
冷房がよく効いている。こちらからは何も言わないのに丁度よい座席中央4列右端動きやすくていいがとにかく寒い。
枕ブランケットあり。時差8時間かな、時計はどうなるの? KE915便13:20発。行くしかない。
 冷えすぎ、体によくないなー!!日本語はスチュワーデスと職員と交わす位ほとんどしゃべっていない。
かなりの日本人がいるみたい。KE915便、今まさに空へ飛ぶ。
 13:23位から飛行、ずうっと空を飛んでいたと思っていたが急に飛び出した、徐走してたんだ。窓から外は見えない。
やや疲れ、眠りたい。日本人乗務員が2人乗っているので安心。14:20丁度フライトして1時間、トマトジュースを飲む。
「何か飲まれますか」とスチュワーデス。
「何がありますか」とワタシ。
「ウィスキー、ジュース、ワイン」とスチュワーデス。
・・・気圧の低い所でアルコールを飲むと悪酔いをするとなにやらで読んだ記憶があるので
  「そうね」とワタシ。
「温かいジュースがあります」とスチュワーデス。
「え!!?」
「ではトマトジュースにします」それは氷の入ったトマトジュースであった。

 時々揺れるが快適、ローマまで行くらしいけれど無事着きそう。スイスへの入国カードは何時くれるのかな。
ソウルに着く前の10:30頃、お昼を機内で食べた。ところが今は14:55なのに昼食らしきものが配られているがなんなんだ?。
現地時間に合わせているのだろうか?ワタシを素通りして行ったけれど・・。なんでワタシだけ抜かしたのかしら????。
ひょっとしてワタシが前の便でお昼を食べていた事を知っていたのかな。
そうかも知れない何度も食べるようになるんだもんなー。こんな事を自問自答しながら不安になる。

 時々揺れがひどくなるが気分は悪はくない、トイレに行こうかと思いつつ配ぜんをしているので中止している。
それにしても、じっとしているのに次々と食べること多し。退屈な空の旅食べることが唯一の楽しみなのかも知れない。
「食事されませんか?」とスチュワーデスに聞かれた。さっきからあれこれ悩んでいた食事の番が来たらしい。
  「これは昼食なのですね、現地時間に合わせてあるのですか?」とワタシ。
「金浦に着く前に食べたのですが・・・、でも食べて居た方がいいのですか?」と尋ねる。
「わかりません」どうやらスチュワーデスは韓国人らしい。言葉が十分に伝わらないみたい。
結局「あとで」ということにしたが、さっきワタシだけ飛ばして配ったのは、確かワタシの前後左右には配膳していたのによく意味が分からず問い合わせる術も無し。何となく不愉快だなー。
自分の気持ちが十分に伝えられないのは、何ともストレスが溜りそう。
「あとで」と言ったものの何時になるのか分からない。こちらで請求するのだろうか。

 日本時間でPM7:43、何だか分からないが、今も空を飛び続けている。
ワタシはチューリッヒ19:20着を早とちりし日本時間でソウルから6時間で着くと思ったのだ。
結局、食事も食べられないままハングリーで過ごす羽目となった。
もう少し時差の事勉強しとけばよかったな。みんなはPM3:00に食事したのだから・・。

 機内のブラインドを一斉に降ろしたのでどうしたのかと思った。
ワタシがうとうとした間にどこかアラブの国かに不時着して外を見られないようになったのか、はたまた灯火管制かと戦中派のワタシは思った。
おかしいな。結局分かったことは“今、夜中なのだ!!”眠る時間だと分かった。
・・・この時はそう思ったのだが、機内で映画を見るために暗くしていた・・・と、思うけれど違うかな。
「うっかりしてチューリッヒについて乗り過ごししたらどうしょう」と思ったり、ちょっと不安。
聞きたい事が山ほどあるのに、スチュワーデスのどれが日本人なのか韓国人なのかの見分けもままならぬ。
こんな事でスイスはいい具合に旅出来るかしら、不安だ。

 PM9:30 ちょっと目をつむっている間にブラインドが上がり朝の雰囲気。早速おしぼりが配られる。
腹ぺこだ「さあ!!何が出るか」期待に胸をふくらませるが・・・・・。
果たして何がもらえるかな? やはり朝食にありつけた。
日本時間でPM10:15ちょっと眠いけれどテレビ画面を見ていると今モスクワの上空らしい。
やっとテレビ画面の意味することが分かった。飛んでいる場所、高さ、外気温等々が画面に出ているらしい。
本当に馬鹿だなあー。 ソウルを立って今丁度9時間だ。HISにもう少し詳しく聞いておくのだった。
機内食・・・餃子、カップラーメン、沢庵、ジュース、コーヒー等。
日本では、今みんな眠りに就く頃だ。さてチューリッヒは朝か昼か夕方か・・お楽しみ。
完全に疑い深くなっている。19:20着となっているのだから朝でも昼でも無いのに、この時点では真剣にそう思っていた。

 夜、チューリッヒに無事到着し、不安の塊のワタシ。
空港ターミナルをぞろぞろ流れる人の群れに紛れ、時々案内版に目をやりながらとにかく大切な仕事、両替所へやっとたどり着いた。
みんな大きな荷物を持って順番を待っている。
出発前から頭に叩き込んだ「Exchange,please.」「Exchange the traveler's checks please.」
「Small change,too.」を何度も繰り返し言ってみる。
なんとか現金を手にして再び頭上の案内版に目をやりながらチューリッヒ中央駅に急ぐ。
チューリッヒ中央駅(HB)に出てみると現地時間PM8:30。
明かりがともり、駅前に電車停留所があり、軌道と道路が幾重にも走っている。
「日本で予約したホテルFLORIDAはどこだろう?」
旅行会社が見せてくれた地図ではたしか駅前、そんなに遠くはないだろうと思いながら探し始めた。
ホテル“FLORIDA”なんて全然見えない。あたりは暗くなるばかりで次第に焦り始めたワタシ。
行き交う人々をつかまえては「Excuse me,How can I get to FLORIDA?」と尋ねる。
分からなくて「I'm sorry」と気の毒そうに立ち去る人や、4,5人でワタシの差し出したホテルのマップを見て
「ああだこうだ」と議論しながら探してくれた人々。
心細く彼等の言葉のやりとりを聞きながら殆ど理解出来ない内容(分からなくて当然。彼等はドイツ語を話していた)
「今夜はどこで眠ることが出来るのやら!!」
「Can you speak English ?」と中の一人が尋ねてきた。
「Yes,a little.」。話す英語は殆ど分からないけれど、こちらも必死。
「とにかく「HB電停まで行って13番の掲示してある電車に乗りなさい。」
「そして、5つ目の〇〇電停で乗り換えて7番の電車に乗って4つ目の電停で下りなさい。」と言うことらしい。
もうすっかり暗くなったHB電停やあたりのビルに灯がともり夜となっていた。

 するとどうだろう。目の前をするすると羽子板から抜け出たような歌舞伎の派手な、衣装を付けたでっかい絵が電車の中に鎮座していて、
「ようこそ皆様、日本からやって参りました・・・・。」らしき文字が書かれた大きな看板と日本女性が立っている姿が見えたのである。
「地獄で仏」にあった心地で2輛連結の後ろの車両の扉が開いたので早速行き先を尋ねようとしたら現地の女車掌さんが顔を出したのである。
「あの日本人に聞きたい」とも言えず、
「To 〇〇 OK?」などとありったけの英単語を並べて尋ねたのに理解してもらえず、先を急ぐ電車は発車してしまった。
その時の落胆と言ったら例えようも無いくらい、本当にがっかりしてしまったのである。
でも、ここは人間の住む世界どうしても諦めるわけにはいかない懸命のチャレンジによって、とにかく件(くだんの)ホテルに辿り着いたのである。
時は正にPM9:30であった。


8/23(月)
 今日はいよいよインターラーケンオスト(東駅)を目指してチューリッヒ中央駅(HB)へ行く。
パンと紅茶の軽い朝食を済ませ重い45リットルのザックを背負い、ホテル近くの電停で9番の電車を待つ。
「ダイレクトに駅に着く」と言ってくれたフロント。やれやれ厄介な乗り換えがないのが大助かり。
昨夜は到着が遅かったのであたりの様子が分からなかったが、今朝見るとチューリッヒは古い石造りの建物がいっぱい、とても重厚で雰囲気のある街並みだ。
カメラを取りだしパチリと2〜3枚撮影。AM8:00と言えば通勤客が三々五々と電停に集まり始める頃だ。
みんなに見つめられ、ちょと恥ずかしい。
電車に乗り通勤の男性に駅を尋ねてみる。英単語を連ねて話してみるが、相手の答えがが分かりかねる。
それでも次の駅がチューリッヒ中央駅(ZurichHB)だと指さして教えてもらい理解することが出来た。
その初老の男性は、自分が下り際にわざわざワタシの所まで来て親切に教えてくれたのである。
精一杯の感謝の言葉「Thank you」を言う。

 そもそも、どうしてこんな遠くから乗る羽目なったかと言えば、
「初日だけでもホテルを予約しておくこと」と言う諸々の「旅の心得」によってHISのNさんにチューリッヒのホテルのリストとそのマップを見せてもらい、
そのマップでは駅の真ん前に Florida Hotle があったのだ。
「これだ!!、ここなら夜遅く着いても安心」と思い契約したのである。
後から考えてみると、駅の住所とホテルの住所を確かめてみる位の必要があったのでは無いか。
マップを鵜呑みにしたワタシの軽率さを反省する。

省・・。  そうだこんな事もあった。HB駅でテレホンカードを買う。
「Telephone card please.」とワタシは言ったであろう。
「Is this international telephone card?」
「?????」何度かトライしたワタシの英語が通じたらしい。
「Yes」「How much?」とワタシ。
「20SF]とキオスクの若い男性店員は答える(発音が聞き取れない)
「う.う.う.???」とワタシ。何フランと言っているんだろう...。
「20フランですよ」と何処からともなく現れて言ってくれた人。ああ、よかったと安堵して胸をなで下ろした。
その声のした方を見ると、ジーパンをはき、大きなバックパックを背負った、やや日焼けした逞しそうな若い男性の後ろ姿が人混みの中に消えてしまった。
ワタシは「あ.あ.あ....。」とお礼の言葉を言うのも忘れ見送るだけだった。
でも、心の中では「ありがとう」を繰り返していた。

 チューリッヒHB(中央駅)からインターラーケン目指して13番線に止まっている汽車に乗り込む。
ホームで待っているとき日本人の若夫婦と老夫婦の4人連れに出会う。
「こんにちは」と声をかけると、「お一人ですか」と年配のご主人が問いかけてきた。
「ええ」と答えるワタシ。
「私たちは息子夫婦の案内でこの旅行をしているのですよ」と言葉を交わし合う。家族づれって、いいなと思った。
「これはインターラケンまで直行でしょう?」と尋ねるワタシに
「これはベルンで乗り換えではないですか?」
「ええ!、ワタシは直行だと思ってたのに。」
 さあ、大変ホームを急がしそうに歩いている鉄道の職員に(車掌さんらしい)
「To Interlaken Ost?」とか「Where is chenge?]などデッキから首を出して聞いてみる。
「You must change trains Bern to go to Interlaken Ost.」と言ってくれたんでしょう。

 ここで、スイス鉄道の車掌さんを紹介しょう。彼等は本当に忙しいのである。
スイスの車掌は働きもので、旅行者のよきヘルパーであるのはまちがいない。
ローカル線に行くと、車掌は検札だけでなく、荷物の積み下ろしも駅員と一緒に汗を流しているし、ときには車内販売のワゴンを載せるのにまで手を貸している。
年寄りやベビーカーを持った女性が乗るときに車掌が手を貸すのは、ヨーロッパではごく自然な光景だが、スイスでは誰にでも気軽に手伝ってくれる。
発車して間もなく車掌さんが検札に来たので、再び同じ事を聞いてみた。「そうだ」と言ったのでワタシは安心。
時刻表によるとBernでの乗り換え時間が非常に少ないのであらかじめ何番線からの発車かを聞こうとするが、どのように聞くべきか分からない。
「What number platform?」
「???」このように聞いている間に分かってもらえたらしい。
「Five number」と教えてもらった。
この一部始終を見ていた例の親子夫婦がみんな笑っているのだ。
「笑わないで下さい英語は下手なんですから。」とワタシはムッとして彼等に言い放った。

 もとに戻ろう。やがて列車は静かに走り始めた。
窓外に見える景色は、まさに北海道、山は低く畑は広い何か刈り取られたのか黄色い株が所々、とうもろこし畑が広がる。
落ち着いた古いけれど重厚な感じの民家、馬の親子が庭先で草を食んでいる姿が愛らしい。
一戸建て、集合住宅それぞれ芝生がきれいに刈り取られ窓辺にゼラニュウムの花、写真で見るのと同じように窓辺を飾る。
  チューリッヒからベルンへ向かう列車の窓越しに眺めた景色を感じるままにそのまま書いたものである。
そう!いつも見ていた「世界の車窓から」だ。本当に、テレビで見ていた通りの風景がワタシの目の前に展開されているのだ。
「 .....5ナンバー、4だったのに」
とにかくこうしてベルンで下り、5番ホームでインターラーケンオスト行きの列車を待つが一向に現れない。
発車3分前、ワタシはうろたえてあたりかまず「To Interlaken Ost.Ok?」と聞くが
「I don't know.」ばかり、それでも聞かれた人は心配そうにしてくれている。
やっと分かってホームを駆け足で急いでいるワタシに「よかったね」の頬笑みを送ってくれていた。
4番ホームだった。ホームに駆け上がり列車に乗り込んだのはまさに滑り込みセーフ。
乗車して一息入れると、あの重たい45リットルのバックパックが急にずしりと肩にこたえたのであった。

 インターラーケン・オストに着いた。
地下道を通って教えられた通りグリンデルワルト&ラウターブルンネン行方面のホームに出ると「地球の歩き方」の注意に出ていた通り
この列車は両方面が同じホームを使うので車体に示された行き先を確認して乗り込んだ。
ちなみに「A」がラウターブルンネン、「B」がグリンデルワルトであった。
[A」と「B]はツバイリュチーネン駅で切り離され2千メートル級の山を挟んでそれぞれ違う谷へ入って行き、間違ったらとんでもない事になるのである。
「12:00 途中停車白く濁った川の流れ、川底は浅く水の流れが激しいので飛び上がっている。水柱が遠くからでも見える。すずしい。」
「やっとの思いでグリンデルワルトへ、山肌はプッツリと切った縞のモザイク模様。でも見たよ!!アイガー。」

 インターラーケン・オストとはどんな所か説明をしよう。
「アルプスの名峰アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山はあまりにも有名だ。」
「三山を含むベルナーオーバーラント山群の観光基地がInterlakenで・・・・・」中略
「町にはウエスト(West)と(Ost)の二駅がある。」中略
「山群に入るために最初に乗るのがこのBOB鉄道。ラウターブルネン行きとグリンデルワルト行きを併結した長大編成の電車だ。」
オスト駅を出発した電車は白く濁ったリュッチーネの流れに沿って走る。
白濁しているのは石灰質を削り取った氷河が解けた水だからである。
ワタシの目は窓外に釘づけ、ガチャ、ガチャ、ガチャ、タ、タ、タ、と列車は登る。
急に真っ暗「どうしたの?」と心の中で叫ぶ。
「わー!! こわーい!!」ワーワー、キャーキャーとやかましく騒ぎ立てるこどもたち(2人)「静かにしなさい」と父親がたしなめている。
同じ車両に乗っている日本人の親子たち、本当に明かり一つ付かない。
そんな車内の騒ぎにはおかまいなく真っ暗やみの中ガチャガチャと走り続けるBOB鉄道。
「スイスでは無駄はしません。」と言っているようでその徹底した姿にワタシは脱帽。

 目指すグリンデルワルト(標高1034b)も有名な登山基地、ワタシのいろんな思いを載せて終点に着いたのである。
まず、下りると駅の右手に広場がある。「地球の歩き方」によると、ホテルの案内版があると言うことで早速行ってみることにした。
今日の宿を見つけなければならないのである。重いバックパックを下ろすこともせずに、そこに書かれたホテル名、住所、オーナー名電話番号など読んでみるのだが文字を理解する事が出来ないのである。
何度か読み返してみた、宿泊代はいずれも高そうでもある。数字だけはわかった。
「じゃ、ホテル・レギナ1階にある日本語案内所に行ってみよう」と駅前に戻りホテル・レギナの前まで来ると、PM2:00までおやすみと看板。
「あ、あ今はまだ12:00をちょっとまわったとこなのに」とため息。気持ちに余裕のない時、2時間近くは待てないのである。
「そうだ、ホテル・ベラリーは西側(駅の左手)へ10分行ったところだったな、そこにしょう、きめた!!」と歩き出した。
「なぜベラリーホテルなのか」は後述します。
ほんのすこし歩くと、もう静かなアルムの中。ぽつん、ぽつんと建っているシャレーのホテル。
舗装した道路を挟んでホテルの玄関へのアプローチの庭、銀行(小さな平屋建て)、ジュースの集積場、手づくりのチーズとジャムのお店、材木店、民家、アルムに水飲み場もあり可愛らしい小さな草花が咲いている。
そして「エレキショップ〇〇」と看板に出ている電気屋さんが急な坂道を登るようにして、人気もなく ひっそり佇んでいる。
本当に静かなたたずまいだ。
上り坂を右手に見ると(北側)山の麓、ところどころにシャレーのホテルがそれぞれの窓辺に赤い花いっぱいに咲かせこぼれんばかり、ほっとする暖かさを感ずる。
「いいな」思わずつぶやいてしまいそう。左手を見るとやっと一軒しか建たない位のスペースで急な坂となり谷となる。
その谷を見上げていくとどうだろう..壁のように立ちはだかる大きな物体、山である。
「何という山だろう?」そう思い右手を見上げながらさらに進むと「Waldhotel Bellary」(ワルトホテル・ベラリー)と書かれたシャレーの家が見つかった。
時計を見ると、そう10分程経過していた。

 ワルトホテル・ベラリーはホテル紹介のパンフレットに次のように書いている。
「わたしたちのワルトホテル・ベラリーは駅前からメインストリートを西にとり道なりに北の方へ10分歩いたところにある。」
「ホテルの背後にはトウヒ、モミなどの森が迫り、ワルトホテルの名にふさわしい環境ではないかと思う。」

   ワタシは、さらに道を右に折れ急な坂を登ってすぐの所に1軒だけホテルがあり、その玄関の前に立った。
いきなり尋ねて果たしてこのホテルに泊めてもらうことが出来るのだろうか?。
何にも増して今度の旅では初めてのホテルとの交渉である。どんな風に言えばいいのかと思案にくれた。
「Do you have a room tonight?」こんな事を頭に描きながらドアーを押して中に入ってみた。フロントには誰も居ない。
「Excuse me,good-afternoon.こんにちは!」と叫んでみる、ようやく太ったおばあちゃんが出てきたので
「Do you have a room tonight?」と聞いてみた。
「・・???」お互いに分からないのである。それでも一生懸命にやっていると黒い服を着た日本女性が現れて通訳をしてくれた。
ドイツ語らしい「1泊100スイスフランです。」とその女性。
ワタシとすれば1日6000円の予算でいきたいところ、
それでは1スイスフラン=70円として7000円予算オーバーもいいところと思案していると
「ディナーも付いての値段だから高くないですよ」と黒い服の女性がそっと口添えしてくれる。
「そうだな、慣れない初めての土地で1日100フランは高くないなあ。」そうして1週間ほどの贅沢を決めたのである。

 再び日記をひもとこう。
「Grinderwaldの宿は安心で比較的安いWで100SFr 1day2食付、夕食は7時、朝食は何時かな!!。」
「50人位の所で(宿泊定員)ひっそりとしていて高台、菩提樹の木、樅、トウヒがうっそうと茂り樹木は白く真っすぐに天に延び丁度電柱が立っているようだ。」
「樅の木には木の実が沢山下がりひときわ黄色みを帯びて夕日に(PM5:15)輝いている。」
「ここは26ナンバー広々とした部屋でWベッドそしてクローゼット、シャワー付で100SFr2食付だ。」
「7day約束、ともかく無理をしないことにしよう。ちょっと疲れた緊張で2晩睡眠をとっていないんだものね。」
下記は宿に到着してから街をぶらついた時に使った費用を記したもの。
  サンドウイッチ    5  SFr
  コーヒー       2.8SFr 計 7.8SFr
  ポストカード 3枚  2.1SFr 10枚 7SFr
  スイスナイフ    39.8SFr
  切手        18  SFr 計66.9SF
スイスに入り自分自身の足で第一歩を記したと言う実感としては十分なグリンデルワルト1日目(実質的には2日目)であった。
このホテルベラリーについて記してみたい。

スイスへの出発を前にした8/17次男からの電話があった。
「山と渓谷」9月号に寄稿されていた“ようこそグリンデルワルトへ”の中島正晃氏のいるホテルに、
「どうにもならなかったら泊ったらいいじゃない」と言ってくれていたのでメモを取り、しっかり内容も頭に入れておいたのである。
このように自分の力で泊る所が確保できた途端“もう安心”とばかりに全身の力が抜けていくようであった。
この宿をぐめっての「やりとり」は、ワタシには、とてつもなく、ながーい時間に感じられたが実際にはそれほどの時間を費やしてはいなかった。
日暮れまでには時間がたっぷりあるのでグリンデルワルトのメインストリートをぶらつこうと出かけた位であるから。

 バックパックを下ろして身軽になったワタシは、カメラとしっかり肌身離さず身につけたパスポート、トラベラーズ・チェック、ビザカード、それからスイスフラン、帰国時に必要な、福岡から広島までの新幹線の乗車券代購入代金として日本円1万5千円と共に歩いた。
日記に記入した通り、駅前のキオスクで絵葉書を買う。駅を右手にとって坂を登るようにして街はひらけている。
レストラン、ホテル、食料品店、スーパー、スポーツ店、銀行、土産物店などなどが立ち並び行き交う。
人々は言うまでもないがヨーロッパ人がほとんど、そして時々日本人にも出会う。
そんな中を右に左に、きょろきょろしながら、時には店の中に入って珍しい品物を眺めたりしながら観光客に交じってウインドー・ショッピングを楽しむ。
やはり日本人は目立つのか、かなり見つめられる。仕方がない。
それにしても思っていたより日本人観光客の多いこと!!。これほどとは思わなかった。
次男にスイスナイフを土産に頼まれて1万円ほど預かっていたのでそれも買う。

 さてと、「地球の歩き方」などに「レストランの入り方なるものが書いてあったっけ。」
レストランの外側のテーブルは安く、室内でもテーブルクロスの掛けてある場合は高いと言うことらしい。
そこで道端に添ってテラスにしつらえてあるレストランの椅子に腰かけ見た。すぐウエイトレスが現れ、注文を聞く。
「Excuse me, a sandwich and a cup of coffee please?」と、こんな風に言ってみた。
サウンドウイッチの中に何を入れるのか聞かれてお手上げ。
「チーズ?ハム?」と再び具体的に聞いてくれたので、ようやく食べたいものがテーブルに運ばれてきたのである。
テーブルに座って道行く人を眺めながら、何とも今の自分が不思議な存在のように思えてきた。

 PTT=郵便局、絵葉書を買ったので切手を買うためにおそるおそる中に入ってみた。
あたりの様子をざっと眺めると、切手売り場らしい窓口が分かった。
「Excuse me,give me stamps please.」と言うと、中で職員が笑っている。
続けて言う「To Japan.」と言いながら「10シート」と両手を広げて示す。
こんな方法ではあるが、とにかく10枚の切手を手に入れることが出来たのである。
郵便局の職員に笑われたのが今もってよく分からないが。しばらくは、残った1枚の切手を実際に見せて、「10シート,5シートプリーズ」と必要枚数を言っては難なく買っていたのだから困ることはなかった。
でも、リヒテンシュタインのPTTでは持参した「GERMAN+ENGLISH」の中から切手を買うときの会話文をノートに書き写して言うことに決めたのである。
「Do you have any stamps?」これで、すんなりと買うことが出来たのだから、やっぱり「give me」はおかしいのかな ?

 もうひとつ、やっておくことがあったのだ。それは、スイスに来て初めての電話である。
早速国際電話ボックスに入ってみた。ドアーは日本のものよりちょっと重厚な感じで中は広く車椅子が十分入りそうだ。
くだんのテレホンカードを差し込み、0081−82−自宅電話番号を叩いてみる。
ガチャ.ガチャ.と日本で聞くのと同じような信号音がして、ほどなくつながったらしい感触がした。
「もし、もし、」
「はい、」と近くにいるのと変わらない位はっきりと聞こえる長男の声
「今、どこにおるん?」
「グリンデルワルトよ!!」
「アイガーは見えた?」
「うん、見たよ!ホテル・ベラリーの真ん前なんよ。」
「このホテルはね1泊100SFrだけどね、決めたんよ。この地に慣れるまで少し贅沢してもいいじゃろう?」
「100フランか、高いね。でも無理することはないよ」とこんなやりとりの間もカチャ、カチャと金額の表示が減ってくる。
6フラン位経過したところで「じゃあ、またね」と言って受話器をおいた。
電話に限っては(日本へは)簡単であった。PM4:00頃のことであった。

 この日も、その後もずうとそうであったが、その夜の宿を決めるまでは“不安”の氷塊が全身にいっぱい詰まった感じであったのに、いったん決まると、自分の中でその大きな氷塊が温かな“安心”で解かしてくれるように広がっていくのが分かるくらいの変化を体験したのである。
このように街を練り歩き、十分にグリンデルワルトを満喫したのである。
本当に「山と渓谷」を介してホテルベラリーを知ることが出来たことも偶然、しかも出発5日前と言うことも偶然が重なった。
人との出会いもこんな事の繰り返しなのかも知れない。そしてホテル・ベラリーでの黒い洋服を着たS.Tさんとの出会いも。

「山と渓谷」9月号に掲載された中島正晃氏は「ようこそグリンデルワルドヘ」の中で家族を次のように紹介しています。
わたしの家族を紹介すると、妻フレーニは48歳、わたしより11歳年下。それに息子のダニエル20歳、家族は幼いころからダニーと呼んでいる。
フレーニの父アルフレッド・シルト、76歳。母エンマ・シルトはそれより4つ年上の80歳。母のことはみんなメメと呼ぶ。
フランス語でおばあちゃんと言う意味だ。わたしの名前は正晃であるが、家族にも村の人たちにも、長いことサイコーで通用している。
このホテルを宿のパンフレットから紹介すると
100年の歴史あるホテル・ベラリーは、1984年に改築し全室バス又はシャワー、トイレ付きになりました。
朝食には自家牧場の牛乳やパン、 そしてディナーく日本の皆様にも定評のある、フルコースディナーでおもてなしします。
庭には菩提樹が茂り、アイガーが眼前に迫ります。
ホテルのサロンには、皆様が自由に弾くことが出来るようピアノも用意しております。
1902年には、ドイツの作家ヘルマン・ヘッセがこのホテル・ベラリーで休暇を楽しんだことが宿帳に記されています。
御予約も、御案内もすべて日本語でどうぞ。

 この夜のディナーはPM7:00に始まった。
テラス一面ガラス越しに目いっぱいに広がるアイガーの威容とその麓に点在するシャレーの家々、
やがて日が暮れ明かりがポツポツと灯る。食堂のざわめきとナイフのかち合う音、ゆったりと時が過ぎていく。
奥さんのフレーニとおばあちゃんのエンマがワタシの食べるのを見計らって料理を運んでくれるが沢山の分量には圧倒される。
「おいしいですか?」と、フレーニは日本語で話しかける。
「おなか、いっぱい?」「おかわり?」と、エンマは尋ねてくれる。
ワタシたち日本女性の憧れのディナーが夕食として頂けるのだから有り難い。
雰囲気といい、ひとり、ひとりに言葉かけをしながらくつろがせてくれるフレーニとエンマ。
のちに、黒い洋服のS.Tさんから聞いたのだが
「テーブルのセッティングをお手伝いしていて注意されることは、ナイフやホーク、スプーン、お皿などはね無造作に置くものではないのよ、一人ひとりのお客様のことを考えながら用意しなさい。」と言われるそうだ。
なるほど、誰隔てなく言葉かけを心がけてくれる。
フレーニは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、日本語、ポルトガル語などなど話せるみたい。
偉いなあ、仕事がらとは言え、なかなか立派としか言いようがない。シルト一家はホテル業が大好きだと言うことらしい。
こんな素敵なホテルに滞在出来たことは、スイスを海外旅行の第一歩として踏み締めたワタシにとって幸運であった。

 もう一つ、「地球の歩き方」に例の日本語案内所を尋ねるように書いてあった。
当地に到着したときは、休憩時間らしかったので素通りしたのだが再度通りかかると業務を行っていたので立ち寄る。
中に入ると日本女性2人が宿のこと、託送のこと、観光案内、土産ものなどについていろいろと旅人の相談に応じていた。
今夜の宿も決まっていたワタシには、特別の用事とてなかったが「よろしくおい願いします」と、彼女らに一言挨拶だけして、そこを出たのである。
家族連れか若い旅行者が大方だった。次々と日本人が訪れていた。
こんな表現をすると、いかにも広そうだけどせいぜい2〜3人も入るといっぱいになりそうな所である。
スイス各地にこのような日本語案内所があって、ホテルの案内、契約、観光案内、悩みなど、諸々の相談に乗ってくれる。
外国語の出来ないワタシのようなバックパッカーにとって強力な味方なのである。
後日グリンデルワルト滞在中、銀行のATM機を使って現金を出そうと試みたが何度アタックしても失敗してしまい、
お金が出てこないのである。簡単と思った操作が困難なのだ。
途方にくれて例の日本語案内所を訪ねた。理由を話すと「私のお金をお貸ししましょう。」と迄言ってくれたのである。
これから始まる旅の費用を借りる訳にもいかないので再度チャレンジしてみた。
幸いお金を引き出すことに成功してホッとした事を今(’96)でも記憶にしっかりとどめている。
このように大変お世話になったのである....。

 そこで、もうひとつ書き加えて置こう。
1週間滞在した間に当初不在だった中島正晃氏が帰宅され、「山と渓谷」の記事を読んだ事を伝えると大変喜んでくれて白ワインを抜いて歓待してくれた。
さらに、ワタシがグリンデルワルトに入る前の3週間カンカン照りが続ていたのに、着いてからは殆ど雨ばかり。
このため「シーニゲプラッテ、シルトホルン、4峠巡り、ロートホルン、ユングフラウ」などのトレッキングが難しくなった。
しかしグリンデルワルト1週間の滞在の間、以下のように訂正を加えながら過ごした。


8/24(火)雨
 雨の中、ワタシが 「ユングフラウヨッホ(3454m)の展望台(3573m)に行く」と言って出かけようとすると、エンマは
「だめよ、そんな雨の中無理をして行っても何も見えないのよ。ここがいいから、こちらにしなさい。」
と言ってメンリッヘンのパンフレットをくれたのである。
・・・ワタシがメメの言っている事をすんなり理解出来たようであるけれども、身振り、手振りなどボデイランゲージを介してやっと理解したのである・・・
ワタシは忠告通りメンリッヘン(2222m)に登った。グルントからAM9:20のゴンドラに乗り頂上を目指す。

 行き交うゴンドラの中にはひとっこひとり見えない。あたりはとても静かである。
高度を上げるに従って谷を挟んで向かい側のアルムの中に点在するシャレーがぽつんぽつんと見えてくる。
そびえるように高い樅の木が枝をいっぱいに広げている。その枝枝に緑のひげを貯えたように長い苔をつけていた。
それはワタシが初めて見る珍しい光景であった。
山頂駅はひっそりとしていた。ただ遠くに、ワタシが登ってきた反対側の谷をのぞき込んでいる2人の人影が見えたので行ってみると、日本人の若いT.Hご夫妻であった。
彼らと話がまとまり、一緒にヴェンゲンに下り、さらにラウターブルンネンまでロープウエイで下りて、 ヨーロッパ第2位の落差を持つシュタウバッハの滝、トゥリュウメルバッハ(氷河融酸水の滝)や、ラウターブルンネンのU字谷に乗っかった小さな村ミューレン、へと足を運んだ。

 ミューレンはアイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)の3山(ベルナー・オーバーラント)をまとめて望める最高のシチュエーションを誇っている所。
更にロープウェイでシルトホルン(2960m)へ、展望台に出ると360度の大パノラマ。
ベルナー・オーバーラント3山をはじめ、ラウターブルンネン・ブライトホルン(3782m)、グスパルテンホルン(3436m)ブルミュムスアルプに至るまでよく見える。
アルプスの荒々しいまでの雄大な山々を見渡し、息を飲むような自然の中で自分の存在が小さく感じられた。
この日は、かなりハードなレッキングをしたけれど。雨は止んで、疲れより充実感を覚えた素晴らしいい1日であった。


8/25(水)雨
 グリンデルワルト駅東側の広場にシュヴァルツヴァルトアルプ行の村内バスが待っていた。
ワタシはバスに乗り込みながら、運転手にスイス・パスを見せる。
「ハーフ」と言われ大慌て、何しろ予期していなかった言葉だ。頭の中を???・?がグルグル回り始めた。
そうか、半額出す事を何時かの後理解した。それからまた幾らになるのか料金を聞いて財布の中から小銭を探す。
この時ワタシは、まだお金の出し入れに慣れていないのでモタモタ。
それでも運転手はゆっくりと、急かすでもなく気長に待っていてくれた。
バスに限らず、ロープウェイ駅、電車の駅、はたまた観光案内所、公共の場所でも急かされる事に直面した事はなかった。

 バスに乗りグローセシャイデック峠(1962m)の、細いクネクネした道を上る。
ふり返ると「わー!」と歓声を上げたくなるくらいだ。「よくぞ、ここまで来たもんだ!」。
高度が上がるに従いヴェッターホルン(3701m)が目の前にそそり立つ。
その岩肌に圧迫されながら終点のシュヴァルツヴァルトアルプに着いた。
あたりは霧に包まれ非常に寒い。バス停にただ1軒のレストランがあったが人気がなくひっそりとしている。
こんな所に1人でいるのがわびしくなり次のPTTバスに乗りマイリンゲンへと向かった。

 PPTバスについて説明すると、スイスのバスはもともと郵便車である。
険しい山から谷へと郵便物を届ける、その業務と一緒に人も運ぶ仕組みになっている。
だから人が乗り降りしない時でもバスを止めて郵便物を上げ下ろしする作業がある。
バスは美しい景色の中を走ってようやくマイリンゲンに到着。
この駅からブリューニック線(SBB)に乗ってブリエンツに下車、道路を隔てた崖下で待っていたロートホルンクルム(頂上駅2298m)行の小さなSL(BRB)で真っ赤な客車2両をつないでいる。
標高差1732mをせわしげにシャカシャカと音を響かせながら時速8Kmで1時間掛けて頂上まで上る。
頂上までの景色が素晴らしい。最初は民家が線路にに沿ってポツンポツンと見えていたのだが、そのうち高度が上がると、
緑色の水に白い絵の具を混ぜたような美しいブリエンツ湖が見えかくれしてくる。
ちょうどすり鉢状に牧場があって大きく旋回しながら頂上を目指すのだから面白い。
もちろんブリエンツ湖の対岸にはベルナーオーバーラント3山が望める。
 あまりの寒さで外におれないので頂上近くのレストランに入り昼食を取った。
レストランの中は広くて清潔にしてある。みやげ物も売っているのでぶらぶらしながら次の発車時間を待った。

 SL 時刻表 Brienz......d 11:15  Rothorn Kulm...13:00
        Rothorm Kulm...a 12:15  Brienz......14:00

 時間は夕方までたっぷりあるので、ブリエンツ湖から船に乗ってインターラーケン・オスト駅裏の船着場まで1時間余り船上からの景色を楽しんだ。
インターラーケンオストからグリンデルワルト駅まで35分間、確かグリンデルワルト駅に17:38着。
しっかり遊んで夕食の7時までには十分間合うように、ホテルに帰ったように記憶している。
日記にはこう書いている、
「ちょうどよくSLがいた。可愛い機関車で頂上まで来た。それはそれは高い山の上、高山植物は沢山みられた。」
「特にイワギキョウ、白いマーガレットなどなどが咲いていて可愛いかった。」
「あくまでも上まで牛が草をはみ、時には牛が汽車を見つめて目も合ったりした。」
「今日も雨でグリンデルワルト→マイリンゲン→ブリエンツ→インターラーケン→グリンデルワルト。」
「バス代お昼代 3.6、7、5、12、 46Sfr 計61.6Sfr。」
「ブリエンツロートホルンから下りてみると下界は晴れ、早速船に乗ってインターラーケンオストに向かう。」
「かなり大きな船でゆったりと椅子に座り湖内を見渡す。」
「湖上から教会を写す。ブリエンツロートホルンクルム、そして湖上船がなかなかよろしい。」


8/26(木)晴れ
「AM7:15 間もなく朝食。やっとここの生活に慣れたのか昨夜9時位から6時40分位までぐっすり眠った。」
「爽快!!久々の天気になるらしい、ユングフラウヨッホに上ろう。」 昨日寒かったので朝から重ね着で身支度を整えた。
 建物はすべて昔ながらのシャレー:木造りでログハウス風、窓辺には花を飾るフラワーポケットがある。
・・・それぞれの家の人が好みに合わせていろいろな花を丹念に育てている・・・

 いよいよ、ユングフラウに行こうとデイバックを背負って例の坂道を下り、グリンデルワルト駅に向かって歩いていると左手の坂道から若い日本人女性(K・Oさん)がトトト・・と下りてきた。
「おはようございます」とお互いに挨拶をかわす。
「どちらへ行かれるのですか?」
「ユングフラウヨッホです。」と同じ方向なので2人は一緒に出かける事になった。出かける時、
「一度に高い所に行くと高山病にかかる恐れがあるのでクライネシャイデックでひと電車遅らせるといですよ」
とSTさん(ベラリーホテルの黒い服の女性)忠告に従い1列車遅らせる。
ワタシはクライネシャイディク駅で、頂上は寒いのではないかとザックの中からフリースのジャケットやゴアテックスの雨具をまるまると着込んで次の電車を待った。
待っている間にあたりをゆっくり見渡せる余裕が出来た。
地元の人であろうかスイスではよく登場するセントバーナード犬を従えて、しかもよく見ると首の所に小さなワインの樽を首輪につけている。
非常におとなしい犬である、ワタシと一緒に来たK・Oさんは「かわいい!」と駆け寄り頭を撫でている。
犬もうれしそう、飼い主も静かに微笑んでいた。ワタシは日本の犬を連想していたのでびっくり。
いつも噛みつかれそうになり恐い思いををするので犬は嫌いなのです。それでも、そうーと頭をなでてみた。
どうやら日本の犬は狭い所で飼われるているので、ストレスを溜めている事や躾が出来ていないようだ。
その後、スイスで何度か犬に出会ったけれど恐く感じる事はなかった。

 駅のレストランを見ると軒先に「うどん」「スリに注意」などの日本語の看板が掛かっているのには驚いた。
また日本人の女子大生が団体で来ていた。
話しかけると、イギリスに留学しているのだが休みを利用してみんなで来たのだと話していた。
「いいとこのお嬢さん」と言う感じであった。
グリンデルワルトからクライネシャイデックまで電車で35分間、クライネシャイデックからユングフラウヨッホまで登山電車で51分間の距離である。
K・Oさんとワタシふたりは次の登山電車に乗り込んだ。
向き合った椅子に東洋人の男性と乗り合わせた。どちらからともなく話し始めた。
話した内容は忘れてしまったがいろいろと英語で聞かれた。
彼が話すには、韓国人で航空会社に勤めていて、休暇をもらってここに来たとか。
ワタシはとても彼の会話に付いていけそうにないのでK・Oさんに通訳してもらいながら電車の中でひとときを過ごした。
ワタシは海外に出た時、外国人の中に東洋人を見つけるとホッとして、つい話しかける。
彼らも何となく懐かしそうな顔で応対してくれるのである。
同じ東洋の中でも国と国とはいがみ合っているが、こうして人と人が出会えばお互い仲良く話し合えるのにと思う事がある。
ヨッホの展望台に出た時の感激はなかった。アレッチュ氷河へ続く万年雪。
もう氷河、氷河ユングフラウ(4158m)は黒い岩肌を荒々しくのぞかせている。
そして遥か下には粟粒のような小さい人間が雪原を歩いている。
「あそこに行ってみない?」
「行こう、行こう」と、ふたりは急いで展望台から雪原に出て、小躍りしながら雪の上を歩いた。
そこで万歳をして写真に収まる。
展望台レストランでお昼を取り、クライネシャイデックまで下りて彼女と別れ、それぞれ違うコースを歩いたのである。
K・Oさんとは帰国後も山の魅力に取り付かれ、ある山の会に入会して勢力的に山歩きをしているようだ。
ワタシとは現在も(’96年)文通してお互いの情報を交換している。

   ユングフラウヨッホはヨーロッパ最高所の鉄道駅で、観光客に最も人気が高く、運賃も往復で7000円弱とこれまた高い。
クライネシャイデックを発車し、10分ほど緑の草原を走ると、アイガーグレッチャーに着く・・・・・中略。
アイガーグレッチャーから先は終点までトンネルの中。
アイガー、メンヒの胎内1130メートルほどの標高差を約40分で登る。・・・・中略。
終点ユングフラウヨッホにはレストラン、展望台のほか、氷の宮殿、科学展示室などがあり、外に出れば夏スキーや犬ぞりも楽しめる(貸しスキーあり)。


8/27(金)霧〜雨
 前日、中島氏から「フィルスト」(2168m)に登ってみませんかとアドバイスを受けたので今日登る事にした。
朝、玄関に出ると例のS.Tさんがトレッキングの格好で立っている。
「どこに行かれるのですか?」
「今日はお休みを頂いたのであなたとフィルストに登りますよ」と言われびっくり。
「じゃあ、よろしくお願いします」と言って同行することになった。
途中スーパーに寄り、パンやハム、ジュース、フルーツなどを買ってふたりはグリンデルワルトの町外れからゴンドラに乗ってフィルストへと上がる。
グリンデルワルト(1034m)→フィルスト(2168m)→バッハゼー→ファールホルン(2681m)→ブスアルプ(1800m)→グリンデルワルトのコースをトレッキングした。
ゴンドラの窓からはヴェッターホルン(3701m)、アイガー(3970m)、フィシャーホルン(4049m)、シュッレックホルン(4078m)とパノラマが続く。
ふたりで話しながら歩いていると、間もなくバッハゼーに着いた。小さいけれど美しい湖。
あたりは湿地で、ワタシが初めて見たワタスゲがかわいく白い穂をつけていた。

 バッハゼーあたりからポツン、ポツンと雨が落ちだした。
日本人の若い女性3人が、標高2000mと言う高い所なのに軽装で登って来た。
大丈夫かしらと案じながら「今日は」と挨拶を交わして別れた。
そのうち霧が立ちこめ、あたりは手探りしなければならないほど見えなくなった。
S・Tさんはこのコースは何度も登り、よく知っているらしい。
石に書かれた赤い目印を追いながらやっと頂上に着いた。
寒くてたまらない。早速レストランに入りポタージュスープを注文。
スープで身体が温まり落ち着いて来たので、これからのコースの変更を話す。
ブスアルプスまで下りるとバスが来るので、そこまで下りて行こうと言う事になった。
途中、ベラリーのチーズ小屋に案内してもらったり、S・Tさんの事(大学の職員で夏休みには毎年こちらに来てお手伝いしたり、 ヨーロッパを旅したりしている)など、シルト一家のお話しを聞いたりしながら歩いた。
「エーデルワイスが咲く所を知っているのよ、地元の人も知らない所なの。よかったらお連れしましょうか。」
と彼女が言ってくれたのでワタシは“ふたつ返事”でOKした。
それはクルム(城塞)と言われる険しい崖の上。
牧草地ではあるが、かなりの急斜面。傘をさし、苦労してやっと頂上に着いた。
「ここよ」
「わあー!」崖の際に、けなげにも白いビロードの様な産毛が生えていて可愛らしい花があたり一面咲いていた。
どうやらエーデルワイスは崖っけっぷちが好きらしい。
噂に聞いていたエーデルワイスは、地元でも見かけられなくなったとか。珍重がられているらしい。

 山をかなり下ると舗装した道路になった。
その道をバス停まで歩いたが、先ほどの雨は大降りになり滝のように雨水が歩道を流れ落ちていく。
しかも牛たちの糞も飲み込んでまるで黄色い洪水なのだ。
バス停近くに来た時バッハゼーで出会った日本女性がずぶ濡れになって停留所近くのレストランへ駈け込んでいった。
きっと寒かったらうと思うがどうしょうもない。
スイスの山の天気の急変をいやと言うほど見せつけられた1件でもあった。
今日のトレッキングは中島さんがワタシに配慮して彼女に休暇を出してくれたようだ。
本当に何から何までお世話になった。感謝。


8/28(土)雨
 日記から
ひとりでのんびりとアルプを歩く。天気がよければ最高なのに、傘をさしてフットカバーをつけて歩いた。
ホテルをAM9:00過ぎに出てAM10:30頃グリンデルワルトを抜けた。
山の中を歩いているとマーモットらしき生き物がさっと逃げて行った。
どうも道に迷ったらしい。ちょうど出会ったおばあさんに道を訪ねる。
「イタリア語が話せますか」と言う。
「NO」と言うと、ボディランゲージで
「ここから先に大きな谷川があり、通るのは危険な所」らしいことが読み取れたのでカムバック。
グレッチャーは、グリンデルワルト氷河で里近くまで氷河が伸びていて、観光名所になっている。
少し地下に下りるように木道が架けられ氷河まで導いてくれている。
勿論、木道の下は氷河の解けた水がとうとうと流れている。着いたので5Sfrを払って見物した。
見物後レストランでケーキとコーヒーを飲み7Sfrと40Ct支払う。
レストランで次男とTさんに絵はがきを書いてポストに落とした。


8/29(日)晴
 明日はいよいよグリンデルワルトを離れるのだ。何となく緊張する。
時刻表トーマスクックを読み慣れてきたので、今日は次の目標地フランスのシャモニーモンブランへの予習にツワイジンメン駅まで行ってみる事にした。

  グリンデルワルト.....(出発)d 8:54
  インターラーケンオスト..(到着)a 9:27
-----------------------------------------------------
  インターラーケンオスト......d 9:39
  シュピーツ............a 9:59
-----------------------------------------------------
  シュピーツ............d10:03
  ツワイジンメン..........a10:39
-----------------------------------------------------
  ツワイジンメン..........d10:43
  PANORAMIC−EXPRESS
  モントルー............a12:30
-----------------------------------------------------
  モントルー............d12:53
  マルチニ.............a13:25
-----------------------------------------------------

 日記から
シュピーツからツワイジンメンの電車の中でスイスの科学を専攻している大学生と同席になった。
彼は自転車に乗って、あちらこちら旅をしているのだと言う。
そして時々電車に自転車を載せて移動をしている。
・・・自転車は折り畳まず出入り口近くの荷物置き場に置けるのでとても便利である・・・
気さくに話しかけてきた。地図まで広げて自分の行程を説明してくれるのて、おまけに
「ストロングサン」だからと言って、紫外線カットのニベアクリームまで差し出してくれた。
帰りにトゥン湖へ寄る。トゥン湖を眺めていると年輩の日本女性に出会った。
「こんにちは」
「おひとりですか」とお互いに話しかける。
彼女は娘さんの出産の手伝いで今年9月29日までベルンに滞在するそうだ。
今日は孫2人とその子供たちのお父さんと4人でトゥン湖に遊びに来ているとの事。
今、遊覧船に乗っている孫達をここで待っているのだそうだ。
「スイスに来て何ヵ月にもなるのに恐くて、どこにもひとりで行けないの。」
「じゃあ、ご一緒にレストランで何か食べましょう」とワタシは誘い、ふたりでお昼を食べた。
トゥン発AM13:30インターラーケン行の電車で帰路についた。


8/30(月)晴
 日記から
朝、出発前S・Tさんにアイガーを背に写真を撮ってもらう。別れを惜しんでバイバイ・・・。
いつも玄関に陣取っている犬のバニーも見送ってくれた。
出かけに出会えなかった中島さんがジープで追いかけて来てくれた。
「リコンファームのやり方」を丁寧に教えてくれ、これからの旅にエールを贈ってくれた。
本当にうれしかった。
そしてもう一度、旅の終わりに元気な姿を見せに帰っていらっしゃいといっていただく。

 以上、長期間ためらっていたこのつたない紀行文を前編として皆様に見て頂こうと決心して発行することにしました。
尚、後半の部分は一部書き加えました。皆様のアドバイスなりご感想をお聞かせ下されば幸いです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。御礼申し上げます。
尚、この紀行文は旅が始まったばかりの事柄です。これから長い旅が続きいろいろな失敗や、感動がありました。
いつか機会があればまた記したいと考えています。


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