カトマンズの喧噪を歩く

 カトマンズは、ネパール王国の首都です。
カトマンズの街中を歩きながら、いろいろと気がついたことをテーマ別にまとめてみました。

トレッキングを終えて
繰り出した町中で見たものは
こんなに便利一足飛び
ハロー

トレッキングを終えて
 トレッキングが終わってからカトマンズのフジゲスト・ハウスへ今回も宿をとりました。
ちょうど、5月のゴールデンウイークと重なるので、前もって自宅からEメールで予約しておいたのです。

 4月29日午後4時半ツアーのメンバーに別れを告げ、歩いて10分ほどのところにあるタメル地区の宿へひとりで足を運びました。
賑やかだった集団を離れると、ちょっと淋しい気持ちになりました。

 トレッキングに要した荷物は、大きなダッフルバッグに詰め込んで15キロばかりありましたが、 ルームメートの青ちゃんが提案してくれ、2〜3回に分けて持参していたので軽い荷物を持っての移動となりました。
そんなことで、身軽なので夕食をとり、ゲストハウスに午後6時到着。
フロントのナランさんの笑顔に迎えられ安堵しました。

 これから、5月13日の出発までの2週間、チトワン・サファリ・ツアーを除いて、ここ、カトマンズでゆっくり過ごすことにしました。
何をするでもなく、ぼんやりしておこうと決めたものの、なんだかつまらない気もします。
旅の形としては、1ヶ所でこのように長期間、滞在するのは初めてのような気がします。
とりあえず、明日は、タメルの商店街を歩いてみようと思いながら、その夜、久しぶりのシングルの部屋でゆったりと眠りにつきました。

 翌朝4月30日に目ざめると頭痛がして、けだるいのです。
フロントに理由を告げてその日は一日中ベッドで眠り続けました。
緊張がとれたのと、トレッキング中の疲れと、トレッキング後の日中の観光で陽が入ったのが原因だと思います。
翌日5月1日は、頭もすっきりとして元気になったのでタメルの街を歩き回りました。

繰り出した町中で見たものは
 日本では、とっくの昔に廃れてしまった買い物の値段交渉を、ここ、ネパールでは楽しむことができます。
外国人、特に日本人を見かけると、「みるだけタダね」、「やすいよ」、「ともだちねだんね」と、声をかけてきます。
物売りたちは執拗に近寄ってきて、商品を売りつけようと、観光客に歩調を合わせながらついてきます。
ときどき、根負けして買うものもいます。
大半は、彼らを交わしながらウィンドゥ・ショッピングを楽しむのです。

 私も値段交渉を楽しみながら、土産物を購入しました。
暑さ対策に、トップとスカート、パンツ、Tシャツなど。
それらは250Rsから400Rsの値段でした。
今回、初めて見かけたビーズ屋で、孫娘にビーズのブレスレットを、4色ほど買い求めました。
「100Rsにして」というと、ちょっと、ちゅうちょしていましたが、しぶ、しぶ売ってくれました。
このようにして、午前か午後、あるいはお昼は宿に帰ってひと休みののち、再び出かけることもありました。

 ぶらぶらと、ほとんど目的もなく歩いているのは私だけではありません。地元のネパール人もそうです。
彼らには、定職がなく店先でたむろったり、やたらと歩き回ったりしながら一日を過ごしているようです。
それらは、男性がほとんどです。生活は確かに厳しいものがあるでしょう。
だからといって暗い表情が見られないのが不思議です。

 後で聞いた話ですが、一日中あてどもなくぶらぶらしている彼らは、一体夜、どこへ行くのでしょう?
食べること、寝ることなど疑問に思っていました。

 彼らの部族は、別々に各場所に集団で住んでいるといいます。
彼らは、夜になると、その家々を訪れては一夜の宿を貸してもらうのだそうです。
聞こえはいいのですが、「転がり込む」という生活のようです。
まだまだ、彼らの社会では、困った者は、お互い様という精神が生きているのでしょうか。

 元に戻ります。
今回のツアーのメンバーも、街角でかいまみた「彼らの笑顔と大らかさはなんなんだと」
物が豊かだといわれている日本人の若者たちの、無表情な顔を対比して考え込んでいました。

 確かに街角には、物乞いをする「女と子ども」、「片足がない男」。
わずかでも、収入を得ようと懸命に観光客にまとわりつく「民族楽器」や「知恵の輪」「仏具」「果物」などの物売り、 店舗を構えた店主や店員も例外ではなく、お客を呼び込んでいるものの悲壮感はありません。

 そんな中を歩いていても、怖さを感じないのは、どうしてだろう?、もちろん、無防備ではありませんが。
むしろ、この頃の日本に怖さを感じます。

 街のあちらこちに、ゴミは山積みされ、いったん風が吹こうものなら、ゴミも土も舞い上がります。
込み入った街は排水が悪く悪臭すら匂ってきます。
また、車の往来も激しく、まるで「クラクション音比べコンクール」でもしているようなけたたましさ。
車のすき間をぬって走り込むようにして道路を渡る。
日本での信号による横断になれている私たちは、それこそ、死にものぐるいです。
ところが、何日かたつと、するすると巧く身を交わしながら横断している自分に感心します。
「慣れ」は、こわいものです。排気ガスもすごいです。

 そんな街角にある店では、マスクや「ならず者スタイルで」店番をしている人がいておもしろい。

「ならず者スタイル」をご紹介しましょう。
このスタイルに私が初めて洗礼を受けたのが、’95年「アンナプルナ・内院トレッキング16日間」のトレッキング中のことでした。
若いシェルパがバンダナを三角形に折り、目の下から口をすっぽり覆うようにして頭の後でその布端を結んでいました。
私は「え?、なんなんだ!」と驚き、正にこれは、アメリカ映画西部劇に登場する「ならず者スタイル」でした。

 私は疑問に思いつつ、質問するでもなくやり過ごしていました。
そこで、ものは試しと思い、私も真似してやってみました。

 なんと、今まで乾燥していたのどが急にうるおってきたのです。
「はは〜ん、これだ!」と、その意味を悟ったのです。
言うまでもなく、前回の「エベレスト街道」をこのスタイルで歩いたのは言うに及ばずです。
トレッキング仲間も、このスタイルにご満悦で、ときどきガンさばきに興じるおじさんもいました。

 話は戻りますが、交通整理をしているお巡りさんも例外ではありません。
街は混沌としています。でも、ひやりとした殺気も感じません。
時間はゆったりと流れているのですから不思議といえば不思議な空間です。

 世界遺産といわれている建造物も、今や崩れ落ちそうな痛みようです。
彼らが信仰しているヒンズーの神々が、ふとした街角で小さな祠の中や寺院にまつられているのです。
熱心な信仰に支えられて生きている彼らの姿に、先ほどからの疑問を解く鍵があるような気がします。

こんなに便利一足飛び
 このたび、インターネットを使い我が家へもEメールを送りました。
カトマンズの街角のいたる所に、ファクスや国際電話、インターネット通信を扱っている店舗が、目白押しのように軒を並べて営業しています。

 公衆電話がない国ですが、(私は見ていません)旅行者にとって、とても便利です。
絵はがきを日本に送ると2週間近くかかりますが、Eメールは瞬時ですから、特急でこちらの様子を伝えることができて便利です。
ちなみに料金はハガキで15Rs、Eメールは1キロバイトが10Rsでした。

 街には、浮浪者や失業者があふれ、一日の生活がやっと送れる人たちと金持ち階層の人たち、近代化は順を追ってくるのでなく、 アンバランスでいて、どっと押し寄せる様子を見せつけられた思いです。

ハロー
 今回は長期間同じ場所での滞在だったので、街を歩けば顔見知りが何人かできました。
偶然、呼び込みで入った店の店員さん、食堂の店員さんなど、彼らと街角で出会えば、どちらからでもなく「ハロー」と、笑顔で挨拶することが多かったです。

 少しの日本語と英語とでお互いにコミニュケーションを取り合いました。
その中でもパン屋の店員さんが「ハロー、マダム」と、よく声をかけてくれました。
とても、あたたかい気持ちにさせられたカトマンズでのひとこまです。

 帰国後も宿のオーナー夫人Durgaさんとの交流を続けています。

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