コラム・69 煮干しダシの話
     
煮干しダシはイワシ類が、量もおおく一般的ですが、土佐、それと日本海側では島根あたりでは、アジダシが使われています。ええ、鯵の煮干し。
海岸の地形からアジが、海岸近くに回遊するのを出し網で獲れたからだそうですね。
出し網は、今では琵琶湖の、竹の簀(す)を張り巡らして魚類を追い込んでとるエリ漁と同じ原理だったそうです。エリ網漁ができたのは海浜の地形と海が穏やかだったからでしょうね。小鯵が大量にとれたから、鯵をダシジャコにする伝統がのこっているらしい。
竹や木の簀(す)を張り巡らしての追い込み漁なんて、まだるっこしいことはハヤラなくなって、今では化学繊維の網で一網打尽のようですがね。
鯵ダシはあっさりとしたダシが出ますから、吸い物なんかにはいいですね。
     
むかし、田舎の伯父に、鯵ダシの5キロ詰めを、高知から送っていたんですが、従兄弟の話によると、伯父はダシにしないで、そのままカンテキで炙(あぶ)ってたべていたらしい。
炙(あぶ)って、そのまま食べるんなら、と思って、値の張る丸干しを送ったら、「固くてたべられへん。鯵の煮干しがいい」なんて言ってきた。土佐の丸干しは一匹千円もする上物がありますが、ボクのことだから安いものを送ったと思うけど、その当時すでに老人になっていた伯父には固かったのでしょうね。そのころの伯父と同じ歳になったボクも、いくら上等でも固いのは苦手ですもんね。
物を贈るには、相手のことをかんがえなければと思うけど、若かったころには、そんな配慮はできなかったんでしょうね。
    
ダシの鯵ダシを、そのまま食べていた伯父のことを笑えないことなんですが、オフクロはながらくダシにつかった後のイワシの煮干しを捨てないで、汁とか煮物のなかに残していました。
まあ、ハラワタだけは苦くなるから取り去ってはいましたが、頭はそのままでしたね。
戦後の食糧難時代にはダシガラだって、貴重な栄養源でしたからね。
でも、食糧難の時代が去ってからも、オフクロはダシガラは入れたままだったなぁ。
ボクは、今でも、たまにダシガラがお椀にはいっていると、捨てないで、だべていますがね。まあ、品のないクセでしょうがね。
     
鯵ダシを炙って食べていた伯父を笑ったけど、ある時高知の中央卸売市場・弘化台で乾物屋の女主人に、それとなく訊いたら、鯵ダシを炙って食べる人が地元でもいるらしい。ハハッ