コラム・36
 
座持ち
もう、何十年も前のことですが、クラスメートだった6人が、久しぶりに何となく集まって食事をすることがありましてね。ハモ料理屋でしたから、まあ、二流の料理屋。
6人のうちの二人が、何を思ったか、市内のラーメン屋の評判話をはじめまして、一晩中二人だけで盛り上がっていたことがありました。ほかの4人にすれば、何の興味もない話題に白けていました。何とか話題を変えようとするんですが、ラーメン屋の話の裏路地に入り込んだまま、楽しかるべき一夕を過ごすはめになりました。
親しいうちではありましたが、喋りに盛り上がっている二人に、露骨に「そんなツマラン話は、やめろ」とも言えませんでしてね。みんなオモシロくなかったらしく、もう二度と集まろうと言う人はいなかったなぁ。
最近は、もっとヒドイことになりますね。年寄りが集まると、病気の話題に盛り上がるんですわ。食事をしているのに、手術の話。それも、本人のことだけなら、同情もありますが、他の知らない人の話でね。こんな病気の話題は、若い頃のラーメン屋の話とは違ってみんなが乗っていくんですねぇ。楽しかるべき一夕を悲しい気分になって過ごすはめになりますね。この会も、もう二度と集まろうと言う人はないなぁ。
        
こんな話から始めたのは、連歌・連句の仕来りの話をはじめようとする魂胆なんですがね。
連歌・連句の話題なんか聞きたくもない? まあ、そう仰らずに、聞いてやってください。
連歌・連句は、五七五の句に、七七の句を付け、それにさらに五七五の句を付けて、長句と短句を交互に付け、一定数にする遊び。
花、月、恋、軍事(いくさごと)の句を布置すべき場所を指示した定座(じようざ)の決まりがあります。なにやら、小難しいですね。
こんな形式主義に囚われないで、自由に思いつくまま連らねていったら、もっと楽しいのに、と思いますね。で、もっと自由に楽しく、としたのが松尾芭蕉没後30年たっての炭俵派。ところが、古典の拘束をはずしたら、連句は衰えてしまいました。
炭俵派の連句集を読むと、「オレはこんなことを知っているゾ。どんなもんや」なんて、メンパー(連衆)でもわからなかったと思える句、それに前句となんのつながりがあるのか不明な句が続出しているんですね。さすがに、天才松尾芭蕉が主宰していた連句にはそれほどはありませんが、メンパー(連衆)は一家をなした俳諧師、とか裕福な商人だから、芭蕉でも気を使ったふしがなきにしもあらず。30年後の炭俵派になると、メンパー(連衆)は亭主に気兼ねがなくなって好き放題。
病気や下ネタにはまり込むと、イヤラシイ句が連なり、路地裏に入り込んでいるんですね。ええ、ボクらの会が病気自慢とか、ラーメン話とかに陥ったようにね。
でも、それを頼りにたつき(活計)をたてているパトロンに「その句はどんな意味?」とか、「句の連なりがあわない」なんて言いにくかったんでしょうね。
そんな時、「次の定座(じようざ)は恋の座です」と言えば話題を変えるのに角が立たなくていいもんね。
盛り上がっているツマラナイ話題から転換してもらおうとするには、きめられた定座(じようざ)は古典の知恵だったんですね。
それと、気が付いたんですが、松尾芭蕉の発句(ほっく)には駄句が多いといいますが、発句(ほっく)は連句の発端の句。ですから、メンパー(連衆)、それぞれのイメージをふくらませる発端の役割。それ自身独立し、完結した芸術作品であってはならないんですね。そんな発句だけを読んで、駄句だなんて批評するのは意味のないことなんですね。
     
松尾芭蕉の逸話に、プロの俳諧師と高弟を集めて連句を催したが、とても満足のいく連句にならなかったので、「能楽師ばかりに集まってもらって、やったらいい連句ができた」ってのがありますね。能楽師は気楽な相手だから、「その句はどんな意味? 句の連なりがあわない」と忌憚なく言えたんでしょうね。
ボクらの集まりでも「病気自慢ばっかりするな。もっと楽しい話にしようゼ」なんて心隔てなく言えるような仲間の集いだったら、みんな「もう一度やろう」になるんだろうなぁ。