コラム・34
  
名字のこと
「鈴木、渡辺、馬のクソ」なんて、失礼な言い方があります。いや、失礼な言い方ではないのかもしれないですね。馬のクソ、すなわち馬糞は、どこにでも転がっているもの、と言う意味だったらしいけど、今では馬糞なんてお目に掛かることは珍しいですもんね。
それに、バフン・ウニなんて北海の美味ですし、馬糞茸はマッシュルームですから、高級食材。今や、珍しい物を意味する言葉。
ところで、鈴木さんはよくある名字だから、イヤシイ名前とはかぎらないんだそうですね。
鈴木さんの祖先は熊野からでた家柄らしいですよ。鈴木は熊野三家のひとつで、名門。
そして、熊野神社の伝道師。ですから、全国津々浦々に移住して、かくも大姓になったとか。移住してもたいていの場合、土地に因む名前を名乗るのが他家では普通だったから、鈴木はよほどネーム・バリューのある氏名だったんでしょうね。「馬のクソ」なんて言われても誇るべき氏名。
       
氏によっては、氏名をそれほど尊重しなかったらしいですね。
桂小五郎なんて、いとも簡単に木戸孝允に変えていますね。偽名ではなく、本名をね。
伝統としては名字は、簡単に変えてきたんですね。これの典型は武蔵の児玉党。児玉党は傭兵の元祖でして、各地に散らばっているそうですが、行った先で土地の名前を名乗ったそうですね。上州では木幡、倉賀野、大類、島名。秩父地方では秩父、越生、小見野とかだそうですね。
ところで、明治の新政府は1870年(明治3年)に「平民の苗字を差し許す」との新法を発布しました。名字と言われてきたのに、突然、苗字なんですね。
 
苗字は、『貞丈(ていじょう)雑記』で、「苗氏と云(いう)は氏なり、たとへば伊勢(いせ)、細川、畠山(はたけやま)などの類なり、苗氏といふ子細は稲麦などの生(は)へ初(はじめ)の時を苗と云、其如(そのごと)く先祖は其家々の苗の如し、其先祖の名乗り始たる氏なる故苗氏というなり、又名字と云は別の義なり、これは氏の事ばかりに限らずすべて人の氏も実名もおしこめていう詞(ことば)なり、旧記の内には苗氏の事を名字と書たるもあり、勘弁して心得ざれば其書の義理本意違ふなり」なんて言っているんですね。また「苗氏と云字古代の書には見えず、中古以来の事なり、先祖の子孫を苗裔(びょうえい)というによりて苗氏というなり」と決めつけたんです。
 
今の書でも「名字と苗字は混用されているが、名字は土地と結び付いて発生しているのに対し、苗字は祖先の氏(うじ)・素姓(すじょう)を表すことばといえよう」なんて書いてあるのもあります。
でも、明治の出先官庁の戸籍係は、苗字の意味がわからないでとまどったでしょうね。
たまたま、貞丈雑記なんのをおぼえている係員が横柄なヤツだと、村落での通称である屋号を「懼れながら」と持っていったら、「それは屋号である。苗字ではない」とか、里に伝わる名字を持っていったら「それは名字である。苗字ではない」なんて応対されたらしい。
こんな非常識な係員は、こんなやりとりを資料に残さなかったから、資料にないことは、この世にないなんて資料至上主義の歴史家は「ドン百姓どもは、ほとんど苗字がなかった」なんて、庶民を侮蔑的に見ています。ええ、今の歴史家はね。
そして、地方によっては、「名字はあっても、苗字のない無学な貧民」のために、勝手な名字を「賜った」らしいですよ。ええ、有名な貴族名家の名前とかをね。
ええ、「苗字帯刀を許す」なんて感覚でね。
だから、明治創製戸籍が名門貴族名だからといって威張るほどのこともないし、ありふれた鈴木、渡辺だからといって卑下することもないらしい。
名字なんて、こんな程度のものらしい。