コラム・33
   
衣服の話
昔々のことですが、ジャワの古都ジョク・ジャカルタで古着屋とも骨董屋ともしれない店をひやかしたことがありました。当時、ぼくはなぜか草木染めに興味がありまして、そのみすぼらしい古着屋にたくさんの古びた帯が並べてあるのが目に入りましてね。
巾約40センチ、長さ1メートル半ほどの布なんですが、これがことごとくすり切れたボロ。この布は現地の女性が赤子を背負うのにも、頭上でものを運ぶのに使う帯なんです。
目に入ったのは、その色。使い込まれたはずなのに鮮明な色彩でしてね。
ところが、値段を訊くと何万円もするんですわ。ジャワの山奥の人達の年収は数万円の世界ですからね。そんな土地で使い古したボロ帯が数万円ってビックリするでしょう。
ところが、ビックリではないんです。新品は数百円。使い込まれたボロは数万円。
欧米人の好事家の間では貴重な骨董品だそうです。
ところが、この草木染めのボロは置いておくと色が褪めるらしく、普段に泥水で洗わなければならないんだそうです。ジョク・ジャカルタの市中を流れている川はブンガワン・ソロ。年寄りには懐かしい名前でしてね。
昔はやった歌では「ブンガワンソロ 清き流れに・・」ってのがありました。
ところが、この川の水は清くはないんです。まあ、泥水。
この水で洗ってきたから、目も覚める色彩になっているらしいんですね。
ボクは、川の澱を持ち帰って洗うほどのツウではなかったので、あきらめました。
そのかわりに、横に置いてあったスマトラの縦ツムギのテーブル・クロスを買いこみました。当然、草木染め。ですから、カルキの入った水道の水で洗うと、色が褪せるとのことでしたから、洗わないでいいようにガラスの下に敷いて使っています。
 
買えなかった帯も、買ったテーブル・クロスもともにモメンでした。
モメン(木綿)が、日本では江戸末期になってはじめて庶民にゆき渡った時には、その染め色の鮮やかさに驚喜したと文芸書にでています。絹も色鮮やかに染まりますが、絹は高価で上流階級専用でしたからね。モメンが普及するまでの庶民は麻とかを着ていたそうですね。麻類では色彩豊かには染まりませんでしたでしょうね。
古典では絹以外の織物はすべて麻と通称していたらしいですから、カラムシも麻だったようですがね。万葉集に「須磨(すま)の海人(あま)の塩焼衣(しおやきぎぬ)の藤衣(ふじころも)間遠にしあればいまだ着なれず」(巻3)で言う藤衣(ふじごろも)は藤の蔦からとった繊維だったようですね。でも、貴族の喪服の藤衣(ふじころも)は藤の繊維から作られたものではなく、藤蔦からとった染料で染めたものだったらしいですね。ええ、濃いマース・バイオレット色。
今は紙にすく楮(こうぞ)のうちのヒメコウゾやカジノキも、当時は着物にしていたようですね。
この繊維をユウ(木綿)と書きました。(木綿と書くとモメンとユウが紛らわしくなりますね)。
そうそう、シナ(科)の木の皮の繊維も着物(科布)に使われていた時代があったらしいですね。
いまでも、酒やしょうゆの漉(こ)し袋に使われているそうで、新潟県の岩船(いわふね)、福島市の飯坂(いいざか)とか、山形県の西田川などでは細々とではありますが生産されるようですね。
信濃の地名の由来がシナノ(科野)だとする説がありますね。それに、「しなやか」もシナ布からのような気がしますね。
麻は着込むとしなやかになって、それに強く長持ちしますが、鮮やかに彩色できるとなるとモメンは庶民には新鮮だったのでしょうね。その時の感動がわかるような気がします。