コラム・32
    
タナバタ
7月7日は、牽牛星(わし座のアルタイル)と織女星(こと座のベガ)の2星が、天の川を挟んで年に一度相会う日となっています。そして天の河を二人が渡って、ランデブーする恋愛成就のめでたい話。それに渡る橋をカササギが架けるんですよね。
ええ、百人一首の大伴家持の歌に「かささぎの渡せる橋に、置く霜の白きをみれば、夜ぞふけにける」なんてありますね。2人が出逢えて、恋愛が成就するのを祈る星祭りが本来の祭りだったように思えますね。
       
タナバタを七夕(ひちせき)と書くと、何やら物々しいシナ伝来の行事になりますが、タナバタの名前の由来を、折口信夫(おりくちしのぶ)は「日本では古く神を迎え祀るのに、乙女が水辺の棚に設けた機屋(はたや)にこもり、神の降臨を待って一夜を過ごすという伝承があり、これから棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)、さらに「たなばた」とよぶようになった」と言っています。
タナバタには一夜水辺にこもって禊(みそぎ)を行い、翌朝送り神に託して穢(けがれ)を持ち去ってもらうものであったともいい、現に各地に伝承される水浴の習俗はその名残(なごり)であるといいます。タナバタにはかならず洗髪をするという地域は広くあるようです。関東地方の北部では、人も家畜の牛馬も水浴びをし、睡魔(すいま)を川に流す「眠り流し」ということを行っているところもあるそうです。
有名な弘前(ひろさき)地方のねぷた行事も、もとはタナバタで、ねぶたは「佞武多」という字を今はあてていますが、もとは眠りの睡魔を追い払う行事だったそうですね。
それにしても、秋の収穫作業がいくら忙しいからといっても睡魔まで追い払わなければならないほど疲労困憊したんでしょうかね。形としては睡魔防ぎでしょうが、流すのは睡魔だけでなく、悪霊祓(はら)いだったようです。病魔の疫病の害を流す行事だったのでしょうね。
     
タナバタの、もう一つの説話は天人女房の物語。
天人女房の物語はこんなこと。
天女が、地上の池で水浴びをしているのを若者がかいまみて、天女の羽衣(はごろも)を隠してしまう。羽衣のなくなった天女は天に帰ることができず、男の妻になる。子供が生まれ、その子供の童歌(わらべうた)から羽衣が穀物倉に隠してあることを知り、天女は羽衣をつけ、子供を抱いて天に飛び去ってしまいまう。天女は別れるとき、瓜の種を残してゆき、この種を育てた男は、この瓜のつるを登って天上へ行きました。
天上へ行った男は、天帝の難問題を天女の助けによって解決しましたが、天女は男に「瓜を縦に割ってはならない」と教えたのに、男が瓜を縦に割ってしまったため、瓜から流れでた水が大洪水になり、男は流されてしまう。この川が天の川で、天女は流されてゆく男に、「7日、7日に会おう」といったのに、男は7月7日と聞き違え、年に一度7月7日にしか会えないようになってしまったことになっています。
各地の説話は、それぞれ異なり、瓜の種ではなく、豆の種とするのもありますし、天女が水浴びをしていることを若者に教えたのは、若者に命を助けられた鹿とする伝承もあるそうです。
こんなことからすると、タナバタ説話には、大きく分けて3系統があるように思えますね。細かく分けるともっとになりましょうが、少なくとも、七夕(しちせき)と神を迎え祀る水辺の棚に設けた機屋(はたや)籠もりのタナバタとは、まったくちがうものですよね。
だから、七夕(しちせき)と書いて、タナバタと読ませるのは無理だと思うなぁ。こじつけ当て字の典型ですよ。