コラム・20
    
ペリーのナゾ
1858年に結ばされた安政条約には内外通貨の同種同量交換規定がありました。
当時の東アジアでの国際通貨はメキシコ・ドルラルであったそうで、これは洋銀。洋銀と純銀の1分銀とを同量交換することになったのですから、貿易業者はメキシコ・ドルラルを1分銀に交換するだけで、3倍の利益。さらに1分銀を金貨である小判に両替すると10倍とか20倍の利益がでたらしいですね。
このため、日本の金貨は猛烈な勢いで流失しました。幕府はこの事態に対処するため1860年に金貨悪鋳をしたため急激なインフレーションを引き起こし、幕府・藩財政や家臣団の窮乏を激化させ、幕藩支配体制の解体にいたりました。
1858年の安政条約は、1954年にペリーがやってきて結ばされた日米和親条約(神奈川条約)に基づいてやってきたアメリカ総領事ハリスによるものでした。
      
1954年にペリーは7隻の軍艦を率いてやってきました。ええ、「暁の眠りをやぶる上喜撰(蒸気船)、たった4杯で夜も寝れず」なんて落首があったそうで、このダジャレ歌は誰でも知っていますねぇ。ところが、ペリーが締ばせた日米和親条約には通商条項はなかったのでした。通商条約は、その後の安政条約。
安政条約での同種同量通貨の交換規定は金貨の流失が目に見えていたはず。
何故かというと、鎖国っていうけどオランダとは、ずーっと通商していたんですよね?
通貨の同量交換をすれば、どんなことになるかは、オランダ通商で、よくわかっていたはず。それに、1860年にはアメリカは南北戦争の内戦になるんですから、国内不安の情勢。これも、オランダから知り得たはずですよ。オランダにすれば日本での独占貿易が崩れるんですから、必死に情報を届けていましたからね。
じぁあ、どうして通貨の同量交換なんて、むちゃくちゃな条約におうじたかですが、これは老中とかの幕府要人がマイナイ(賄賂)で買収されたとしか、ボクには考えられない。
まあ、買収だけではなく、先のペリーの威圧も大きな動機でもありましたでしょうね。
     
ところで、金銀と言うと、ロスチャイルドを思うんですが。
ええ、ペリー提督はロスチャイルドと密接な関係があったらしいですよ。まず、ペリー提督の娘キャロライン・ペリーの夫が、オーガスト・ベルモント。ベルモントはフランクフルトのロスチャイルド本家の丁稚上がりで、アメリカへ派遣されたロスチャイルド関係者。彼自身はアメリカにやってきただけで「ナゾの大富豪」になっているんですね。当時の提督は、まだ私掠船のきぶんにあった事業家。19世紀では、海軍は私掠船まがいのものでして、捕獲した相手の商船は自分達の物。ええ、女王の海賊の気分なんですよ。
ペリー提督が日本に開国をせまったのは、請負だったと思われます。そのかわり費用は提督持ち。この航海費用から、シナ近辺でうろうろしていた軍艦7隻を連れてきた費用も提督持ちだったと思われますよ。
ペリー提督がふんだんに使えた経費はベルモントが用意したか、ロスチャイルドが用意したと思えますでしょう?
ハリー総領事はペリー提督がつけた道で、ごり押ししたんですから、まあ、ペリー提督の一味だったんでしょうね。彼等は通貨交換で大儲け。儲かっただろうなぁ。
開国の話でも聞くと、すぐ、ゼニカネに結びつけるのは、ナニワ的歴史観かなぁ。