コラム・19
  
ワルトハイム氏のナゾ
クルト・ワルトハイム氏は1987年、オーストリア大統領として再選の選挙期間中に「第二次世界大戦でドイツ国防軍将校としてユーゴスラビアのパルチザン弾圧に加わった」と報道されて、話題になりました。
翌、1988年には国際歴史家委員会が「ナチ犯罪に直接関わった証拠はないが、残虐行為について十分知りうる立場にあった」と報告しました。さすがに、本人も91年、「次期大統領選に出馬せず」と政界を引退しましたが、いまだに真相は不明。
この人、ただの政治家ではなく、1971年から国連事務総長でして、76には再選され81年には3選目の立候補をしたんです。この時は中国が拒否権を行使したために3選目は果たせなかったんですが、10年間も国連事務総長でした。あの当時はワルトハイムは国連事務総長の代名詞みたいに有名でした。
ワルトハイムの経歴はすごいものでして、1955年にオーストリアの初代国連代表。のちカナダ大使、国連大使を経て68〜70年外相というんですからヨーロッパの大政治家といってもいいでしょうねぇ。
オーストリアの国連代表には1955年になっているってことは、第二次世界大戦後10年で枢要な地位についているんですよね。
その後には「ワルトハイムはナチス党員であった」とか、「ナチス親衛隊SSの少尉として、アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺にかかわっていた」と言う報道までてきました。
「SSの少尉」とまでわかったんですから、どうして国連事務総長をしていた時代にわからなかったんでしょうね?
イスラエルには優秀な情報機関・モサドがあるんですがね。
モサドは1960年、アルゼンチンで15年も潜伏していたナチス親衛隊SS隊長のアドルフ・アイヒマンを捕まえました。イスラエルのエルサレムで裁判になりまして、防弾ガラスの中に座っているのが報道されました。たしか62年5月には「ユダヤ人虐殺」の罪で絞首刑になりました。「モサドってすごいなぁ」と感心した記憶があります。感心したのは、ボクだけではないようで、スパイモノ、諜報機関モノといえばモサドがでできますよね?
        
ところで、ワルトハイムがナチス親衛隊SSの少尉であったのなら、国連事務総長時代にモサドはわからなかったのでしょうかね。それも、アルゼンチンとかのよその国で生きていたんではなく、ドイツとならんでナチスの本拠地のオーストリアの政治家なんですよね。
目の前にいるユダヤ人の敵に気が付かなかったんですかね。
ボクには、不思議。不思議をとおりこして、疑惑を感じてしまう。
考え過ぎかもしれないけれど、ワルトハイムを国連事務総長にしていたのは、イスラエルではないのでしょうかね。ええ、モサドの謀略。
ユダヤ人でないワルトハイムを国連のトップにすえておけば、国連がイスラエル寄りであっても疑われないでしょう?
それに、前歴の秘密を握っているワルトハイムなら、自由に動かせたようにように思うんですがね。ええ、壮大な謀略。
スバイ物の読み過ぎですかね?