コラム・21
    
アヘン戦争のナゾ
アヘン戦争って、こんなことでした。1840年イギリス艦隊がアヘンの移入を禁じようとする清朝の林則徐の軍を攻撃しました。清朝は敗退。イギリスのシナへのアヘン貿易は継続されました。まあ、世界史に残る暴虐。
ところで、なぜ、イギリスが艦隊まで派遣して戦争をしかけたかですが、これにはアヘンの話をしなければなりません。
アヘンはケシの果実からとるものだそうですが、原産地は地中海沿岸地方。
地中海地方では有史以前から薬としてつかわれていたらしい。
紀元前の「エーベルスのパピルス文書」にも「幼児がひどく泣くときはケシのシロップを与えるとよい」と書かれているそうですし、ギリシアでは紀元前後から麻酔剤として使用されていたらしいですね。だから、貴重な医薬。
ところが、イギリスをはじめとするヨーロッパで紅茶を飲む習慣ができてから、当時のイギリス植民地であったインドの、とくに東北部のダージリン辺りで紅茶を栽培しはじめました。ダージリンとかの寒冷な痩せ地では紅茶畑のとなりでケシを作ることになっていったらしい。
そんなことから、ヨーロッパに大量のアヘンが流入して、風邪薬にいれるワ、しまいにブドウ汁とか、甘草などの甘味料と混ぜて嗜好品として売られていたそうです。ええ、駄菓子やでね。ところが、アヘンは習慣性のある毒薬ですから、とくに幼児に中毒患者が出始めて、社会的な問題になり、販売禁止になってしまいました。そりゃあ、そうでしょうね。
ところが、紅茶プラントをやっていたトワイニングのグレイとかの商人はできてくるアヘンの販売先が突然なくなってしまったらしい。
そこで、インドでだぶついたアヘンをシナ(当時は清朝)へどっと持ち込むことになった。
シナでは200万人も常習者が出て、社会崩壊になり始めたそうですね。
インドのボンベイのアヘン王サッスーンが、これを取り仕切っていたらしい。海賊国家イギリスでも、さすがに、アヘンのために戦争をおこすことに議会では反対派があったらしいけど、僅差とはいえ開戦に決定。
     
すごいですね。一商人のために当時としては大国清朝に戦争をはじめることにしたんですから。まあ、当時の常識としては、戦費は戦争をやろうとするサッスーンもちだったんでしょうがね。動かす兵もインドのセポイだったらしいしね。
      
一商人のために、国の政策が左右されるのは、イギリスでは現在もそうらしいですね。
1975年に首相となったマーガレット・サッチャーは、どうして頭角を現したかがぎもんとされてきましたが、彼女はイギリスでは「夫デニスの操り人形」と言われていたそうですね。夫デニス・サッチャーは投資銀行の重役だったそうな。
「鉄の女」と言われた超保守主義の強硬姿勢は、経済界の強力なバックがあったんですね。
その後、サッチャーは南アへの経済封鎖に反対したことが直接原因となって1990年辞任にいたりました。経済不振による大量の失業者が遠因でもありますが。
ところが、サッチャーの後継者は同じ政策をとるメージャーでした。
この人の経歴は、スゴイものでして、両親はサーカスの芸人。公立高校卒業。16歳で働きはじめて、土方やバスの運転手などの職を転々。ところが22歳のときに、銀行に勤務、またたく間に重役。36歳で下院議員、サッチャー政権で外相、蔵相。サッチャー首相の後を受けて、90年、46歳で首相。
イギリスは貴族社会ですよね? オックスフォードか、ケッブリッジ大学卒業生でないとなれないと言われてきた保守党の党首になっているんですよ。そう言えば、サッチャーも両親は食料雑貨店屋でしたね。まあ、オックスフォード大学は卒業していますが。それにしても、貴族の出ではない。
2人に共通しているのは、閣僚がサンアライアント・ロンドン保険とかの金融機関の重役連中でした。卑賤の出だからと言って差別するわけではありませんが、何やらキナクサイ臭いがする不思議な2人。