コラム・18
    
日本の歴史の中で、だれも言わない不思議と言えば、日露戦争の軍資金。
1904年、日本は戦費の用意もしないで、当時の強国・ロシアに宣戦を布告しました。
宣戦を布告した後で、あわてて英国へ日銀副総裁の高橋是清を金策に派遣しました。
当時の英国は2年前に日英同盟を締結しばかりの同盟国ですし、英国はロシアの南下政策に反対して敵対していることになっていだんですから、日本の戦費国債を簡単に引き受けてくれると思ったのでしょうねぇ。まあ、借りるのが無担保に近い、日本の国債ですし、それも「勝ったら払える」に近い借金の、しかも一千万ポンドという巨額の申込みですから、引受銀行は、そう簡単ではないだろうと高橋是清も覚悟はしていたと思いますが、何と英国のどこの銀行でも、けんもほろろだったらしい。ええ、ロンドンのシティのすべての銀行がね。
で、高橋是清は、当時の英国の金融を牛耳っていたロスチャイルドへ最後の望みを託したらしい。ところが何と、ロスチャイルドもにべもない返事。
高橋是清が行き詰まっていると、「アメリカへ行け」と耳打ちしてくれた人がいたらしい。
      
誰が耳打ちしてくれたのかはわかりませんが、アメリカへ行くと、クーン・レープ商会が中心となって国債を引き受けてくれたんですね。
軍艦は手に入って日本海海戦で勝ったものの、戦費は底をついてしまったらしい。
戦費が底をついて追加融資が得られなくなった、って不思議ですね。日本海海戦で勝って、旅順へあと一歩ですから、勝ったようなものでしょう?
戦費がないから、旅順を囲む203高地を越えるのに苦労しましたよね? ええ、乃木将軍は肉弾戦を繰り返すだけで、戦果なし。戦死者は2万4000人。戦史家は乃木将軍を無能呼ばわりしますが、大砲なしには突撃を繰り返すしか方法がなかったでしょうにね。
それで、とうとう、日本国内の砲台の大砲を外して、持っていったそうですね。砲台の大砲が1,2発、旅順の町中へ落ちると、途端に旅順守備軍は降伏しました。
ところが、奉天ではロシア軍の包囲殲滅はできませんでした。「戦力の限界」から日本は講和せざるをえなくなりました。「戦力の限界」なんて言うけど、要するにカネがつきたんですね。
外国から追加融資が得られなかった理由は、ロシア国内で暴動がおこり、赤色革命の危険が出てきたかららしいですね。
  
ところで、英国のロスチャイルドが国債引き受けを断った理由は、ロシア皇帝からカスピ海に臨むバクー油田の利権を獲得していたらしい。だから、面と向かっては、ロシアに楯突いて日本の国債を引き受けられなかったらしい。ええ、国家としての英国はロシアと敵対しているのにね。ロスチャイルドは目立たないように利権はちゃんと得ていたんですね。
アメリカで融資を得たクーン・レープ商会のことなんですが、この商会のオーナー、ジェイコブ・ヘンリー・シフは、子供の頃ロスチャイルド家で育った、まあ、いわば子飼いの丁稚。
何のことはない、イギリスからアメリカまで地下で繋がっていたんですね。
だから、戦争を始める時も、カネを絞って戦争をやめさせるのも自由自在だったんですね。
人が殺し合いしているうちに、儲けていた連中がいたんですね。