コラム・15
  
エッセイ、随筆、コラムの分類学
世には分類学の好きな人も多いようでして、この欄をコラムと名付けると、さっそくご質問がきました。
この欄をコラムと名付けたのは、深い意味があったわけではありませんで、いままでのイソップが品切れになってしまって、苦し紛れにつけた名前なんですがね。
それに、「エッセイ」は、イソップ以前に使っていた名前なので、文書名の区別のためにね。
もうこれで、結論になってしまったので、これ以上論じる必要も、必然もない話なんですが。
ところで、エッセイと随筆は同じ意味でつかわれているようですね。
エッセイスト・クラブ賞は随筆と名付けて発表されたものにも授与されていますからね。
でも、「エッセイと随筆は違う」って言うむずかしい人もありますがね。
      
「エッセイ(essay)」って言葉は、言うまでもなく、フランスのモンテーニュの『随想録』(16世紀)ですね。「エッセイ」と書かず、フランス語の発音に近いのはエッセであるとか、エッセィであるとか言う人がありますが、まあ、普通にはエッセイと書きますので、ボクはそれに従っていますが。
ところで、「エッセイ」は英語でのトライ(試み)だそうですね。
ええ、ラクビーのトライではフランス語ではエッセイと叫ぶそうですね。
語源の「試み」から、自由に意見や感想を述べる小文を「エッセイ」と呼んでも誤りではないように思いますがね。
またむずかしくなりますが、日本には随筆と随想ってことばがありますねぇ。
自由に心の赴くままに書き散らすのは、「随筆ではなく随想である」なんて人もあるんでしょうね。
随筆の代表は、平安時代に清少納言(せいしょうなごん)が書いた枕草子(まくらのそうし)、鎌倉時代に鴨長明(かものちようめい)が書いた方丈記、それに南北朝期時代に吉田兼好(けんこう)が書いた徒然草(つれづれぐさ)ですね。
随筆と随想の違いは微妙ですね。随筆は「明確な構想のもとに叙述された、作者の思想表現の書」であり、随想は「心の赴くままに」だそうですが、こうなるとエッセイのことになりますね。でも、随筆と分類されているものの中にも「心の赴くままに」書いたと思われるものがおおいですよね?
そうなると随筆と随想の区別も曖昧。
    
まだもっとややこしいのに、コラムがありますね。
コラムはラテン語のcolumnaから出た「円柱」を意味することばだそうで、それから英字新聞紙面における縦の欄をさし、さらに、一定の大きさを囲んで定型化した決まりものの記事欄を意味したのが由来らしい。新聞記事だから時事問題についての解説・短評欄のことかとも思いますが、コラムの代表の朝日新聞の「天声人語」、毎日新聞の「余録」には市井のできごと、自然、四季の移り変わりに至るまでが素材化されていますね。
そうなると、随筆・随想と、どう違うの?ってことになります。
シナの昔では筆記・筆録、漫筆・漫録、雑記・雑識などの名称まであったようで、もうこうなると書き手が好きなように名付けたとしか考えられない。
      
いやー、ぐだぐだと「心の赴くままに」書いたけど、結論は「書き手の好きなように名付ければ」いいんではないかなぁ。これでは返事になりませんかね。