コラム・11
 
エト(干支)
干支と書いてエトと読みますね。ええ、訓読み。
ですが、ボクらがエトと言うと普通は干は言わないで支だけを言いますね。
ええ、「今年のエトはイヌだ」と言うときには支の戌(じゅつ)だけを意味しますね。
干支(かんし)の干は10とおりあって、支は12とおりあるんですが、10干を言うのはまれですね。甲子園って聞いても、あれが干(かん)の甲(こう)と支の子(し)を意味するなんてピンときませんものね。ええ、甲子園球場は造られた1924年が甲子(きのえね)だったから甲子園と命名されたとか。
10干12支を言うもう一つは61歳のお祝いの「還暦(かんれき)」ぐらいですかね。
干の10と支の12の最小公倍数が60になりますから、61年目にふたたび生まれた年と同じ干支(かんし)が還ってきます。だから、数え61歳となると還暦(かんれき)ってことになりますね。ええ、今は満年齢の「61歳の誕生日の祝い」でやりますね。
     
ところで、「今年はイヌ年」と言うのは12支のことですね。
12支はネ・子(し)、ウシ・丑(ちゆう)、トラ・寅(いん)、ウ・卯(ぼう)、タツ・辰(しん)、ミ・巳(し)、ウマ・午(ご)、ヒツジ・未(び)、サル・申(しん)、トリ・酉(ゆう)、イヌ・戌(じゅつ)、イ・亥(がい)ですね。
年を動物に当てはめて、例えば「今年はイヌ年」と言うのどこからきたんでしょうねぇ。
ボクら無学者は、「あの人は、イヌ年生まれだから、犬みたいに従順だとか、犬みたいに噛みつく」なんて生まれ年のエトから、性格まで当てはめますね。まあ、ここまで来ると軽口冗談ですがね。
         
日本では、エトは暦でしか使いませんね。算用で使うことも、昔つかったようでもありませんね。
伊勢貞丈(いせさだたけ)は安斎随筆(あんさいずいひつ)で、「十干十二支の名神代(かみよ)より応神(おうじん)天皇御代、王仁(わに)が来朝以前までしらずして有りしなるべし。
彼(か)の御代16年に王仁来りて其(そ)の百済国(くだらのくに)、乙巳(おつし)の年なるをもつて日本も乙巳の年なることを始めて知りて、夫(それ)より年々幹支(干支)を知りて逆に推して神代の幹支(干支)をも知りしなるべし」とありますから、百済(くだら)からきたものらしいし、干支の知識は中国で発生したものが、百済を通じて日本に移入されたらしいですね。シナでは干支の知識は古代からあったが、それを年暦に用いたのはずっと遅く、前漢時代(前202〜後8)といわれているそうな。
となると、干支(えと)は暦法独特の、まあ、神聖文字みたいなものではなく数字と関係があったように思えるんですがね。
まあ、だれでも思いつくのは「動物の形にかこつけて、文盲者に数字を教えたんではないか」ですかね。
       
ところが、漢字の碩学吉川幸次郎先生は「漢字の干支と動物の名前は何の関係もない」と断言していらっしゃいます。
漢字の大碩学に楯突くのもおこがましいのですが、例えば、ヘビの巳(し)は、明らかにヘビの形からきた象形文字ですよね。
子(ネ)だってネズミが立ちあがっている姿と見られないこともない。ええ、プレイリーみたいに立ちあがって両前足を肩でひろげている姿。野ネズミかなぁ。
丑(ウシ)だって、ウシの顔と見られないこともない。何やら角の出た顔。
寅(トラ)の形はすぐには思いつかないけどね。これもトラの顔かなぁ。
こんな風にこじつければ、動物を連想できないものでもない。
       
今に伝わる漢字は、もとの象形文字から相当変遷してきているらしいから、今の漢字から推定するのは、無学者の「めくらヘビにおじず」なんだろうけど。