コラム・10
    
ナスカの蜃気楼
俳句の季語帳を、ぺらぺらとめくっていると、海市(かいし)とあり、同じ項目に山市(さんし)とありました。季語帳ですから、蜃気楼(しんきろう)とあるだけで、詳しい説明がなかったので、調べてみました。
蜃気楼(しんきろう)という名前は、想像上の動物の「蜃(みずち)」が「気」を吐いたとき現れる「楼」閣という意味なんだそうですね。ええ、シナでの呼び方。
日本では、海市(かいし)、山市(さんし)以外に、貝櫓(かいやぐら)、なでの渡り、狐の森、狐楯(きつねだて)ともよぶそうですね。「海市」は福永武彦の長編小説にありますね。
      
身近な蜃気楼(しんきろう)には春から夏にかけての日中に、路上で見られる「逃げ水」があります。「逃げ水」だなんて、ものを知らない人間が言う言葉で、「逃げ水」は、山辺にかかる朝霧とか、伏流水の意味で使うこともあるらしいから、地鏡(ちかがみ)というほうが正しいらしいですね。
「逃げ水」は、江戸時代に斎藤鶴城(かくじよう)が武蔵野話で紹介しているそうで、山裾に、ほんの1メートルくらいの高さで低くはうような形で現れる霧だそうです。そんな所を人が見え隠れしながら歩いて行くのが、遠くからだと水中を行っているように見えることから、「逃げ水」と言うそうですね。
ボクら関西人は関西方言が、いつでも正しいと思っているから、「地鏡(ちかがみ)」と聞いたときには、「この人、どこの方言を喋っているのか?」なんて思うもんね。なんともアツカマシイ。
畿内(きない、又はきだい)が日本の中心だなんて、「畿内(きだい)中華思想」と言うらしいけど、関西アツカマシ主義と言うべきかもしれませんね。
    
蜃気楼(しんきろう)と言えば、砂漠の蜃気楼。ナポレオンのエジプト遠征に従軍したフランスの数学者モンジュが初めてこの現象を記述したので「モンジュの現象」ということになったらしい。
ええ、砂漠の民にとっては、モンジュさんに教えてもらわなくても、昔から知っていたことでしょうから、まあ、アメリカ「発見」と同じようなアツカマシいヨーロッパ中華思想なんでしょうがね。
もう一つの砂漠の蜃気楼の話題はナスカの地上絵。
ナスカの地上絵はナゾだとされていますが、あの砂漠に濃い霧が掛かると、地上絵が天空に蜃気楼となって写る宗教施設だとする説があります。蜃気楼で一面水に見える天空で、ハチ鳥が長い嘴を差し出して水を飲んでるとか、クモが雨を呼んでいる姿とかは確かに、宗教的幻想ではありますね。
今では、あの砂漠に蜃気楼が出るほどの濃い霧はないそうですが、砂漠に雨期の前に漂う霧は意外に濃いものらしいから、赤道周辺が湿潤だったころには地上絵を天空に映し出すほど濃い霧がでたことがあり得るらしいですよ。ええ、1〜7世紀にはね。
こんな話は、狐の森の山市(さんし)?