コラム・8
    
巧妙な外交術
「日出ずる国の天子、日没する国の天子に書を致す、恙なきや」は聖徳太子が隋の楊帝(ようだい)に送った国書の冒頭。これは不思議な文書ですよね。
聖徳太子は推古天皇の摂政ですから、天皇でもなければ国家元首でもありませんよね?
だのに、自分のことを天子と称していますね。僭称でしょう。ええ、あからさまに言うとウソ。
それに、「天子はシナに一人しかいない」とのシナの中華思想に真っ向から楯突いているんですね。こんな国書を受け取ったら、隋の楊帝(ようだい)は怒ったでしょうねぇ。
ええ、東夷は常識がないと呆れて、「もう、見せるな!」と言ったとかの話がありますね。
じゃあ、聖徳太子は国際感覚に無知だったから、こんな国書をかいたんでしょうかね。
聖徳太子には3人の側近があったらしいですね。高句麗の慧慈、百済系と思われる覚(かくか)、それに新羅(しらぎ)系渡来氏族である秦河勝(はたのかわかつ)ですね。
この3人の側近は、「日出ずる国の天子」なんて、国書の冒頭に書けば、隋の朝廷では嘲笑されることがわからなかったのでしょうかね。いやー、わかっていたと思いますよ。
それに、この3人の側近の高句麗、百済、新羅の朝鮮半島の三国は互いに争っていたんでした。外交の要諦はバランスですねぇ。ええ、聖徳太子は国際情勢の情報を正確に把握するために、朝鮮三国のどれもに偏ることがないよう、巧妙にバランスをとっていたように思えるんですがね。
じゃあ、どうして隋の楊帝をわざわざ怒らせるような国書を書いたかですが、ボクには、当時、シナべったりになろうとした我が国の諸勢力への牽制だとしか思えないんです。
中国の皇帝から「倭国王」の金印をもらったとか、シナの宮中席次が新羅より下だったとかですねたり、喜んだりしていますからね。「王」はシナの天子の家来を意味するのに、屈辱的な王印を国宝だなんてありがたがる人がいまだにいますもんね。
     
こう見てくると、相手を怒らせるのは、一つの外交手段なんですね。まあ、相手と戦争にならない程度に怒らせるのがね。
ええ、首相の靖国参拝も相手と国交断絶にならない程度に怒らせていますね。
では何故、怒らせるのかですが、まあ、人それぞれに見解があると思うけど、ボクは中国、韓国とあんまりベッタリにならないような政策に思えるんですがね。
       
中国、韓国は近いうちに大激動が予想される国でしょう?
韓国と北朝鮮との統合は時間の問題。4700万人が北の2000万人の貧乏人をひきとると国家破産になるでしょうねぇ。あの西ドイツが東ドイツを統合して、いまだに混乱の中にありますもんね。
中国は公害と民主化問題を抱えていますから、どこかで蹉跌するのは、これも時間の問題。ええ、最近のヤミ軍備増強からすると台湾侵攻まで心配する人までありますね。
なにしろ特定の国にベッタリはまずいもんね。聖徳太子だって随ベッタリを避ける巧妙な外交政策を選ばれましたもんね。
いやー、小泉首相が聖徳太子ほどの賢人だというわけではありませんが。