コラム・3
     
日本の城塞
パリのオペラ座、建築家の名前をとってパレ・ド・ガルニエとも言うそうですが、あのオペラ座って地下7階もあるんだそうですね。ええ、設計段階では、もっと深かったとも聞きますが。地下7階まで掘り下げだところ水脈にあたって水が噴き出してきたらしい。
それで、水脈を断つために壁を巡らしたとか。これから先はホントウかどうか知らないのですが、地下7階には湖があるんだそうですね。いやー、ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」ではそうなっていますね。でも、湖は誇張にしても池があるらしいですね。
地下7階と言えば15メートルは下でしょうね。総面積は3エーカー、1万2千平方メートルはスゴイとしても、総石造り。それも19世紀末の建造。
バロン・オスマンが造ったパリの町並みの中で見ても、目立って壮大な建物ですもんねぇ。
      
19世紀末建造のオペラ・ハウスを観て、日本の城塞をとかく言うのもへんな話ですが、日本ではお城までが、木造なんですね。敵の攻撃の矢面になる角矢倉まで、木造でしょう?
落城するきっかけは、まず「角矢倉が炎上し」ということになりますよね。
今に残る「名城」は江戸時代になってからの建物ですから、大半は戦争を目的としない城館かも知れませんが、姫路城なんかは九州の外様大藩の東上を防ぐ目的の戦いの城塞であり、東上を防ぐのですから、籠城が意識されていたはずですもんねぇ。
城塞を石造にしなかったのは石造建築は地震によわいとか、木材が豊富だったとかの説がありますが、はるかに大規模な城壁の石組が、地震で崩壊したことはまれでしょう?
まあ、造ったばかりの城塞の一部が崩壊したことがあって、普請奉行が打首になった話もありますが、木材が豊富だったからといって防御に弱い木造にした理由がわからないですねぇ。
       
なんで、こんなことにこだわっているのかと言いますと、わが家の周りは先の震災ですべて倒壊しましてね。周りの家がことごとく再建されました。
もともと、古い住宅地でしたから、一軒あたりの敷地は100平方メートル(3,40坪)ぐらいなんです。
ところが、再建された家屋は骨組みまで木材なんですね。木造家屋にこだわるのは趣味としてはわかるんですが、骨組みまで木材である必要はないと思うんですがね。
骨組みは鉄骨、床とか内装だけ木造としたほうが、同じ強度をえるには、はるかに安価だと思えます。
ところが、どっこいそうではないらしいんですね。骨組みを鉄骨で造るとなると、これは鉄工所の仕事。内装は木工ですから大工さんの仕事。骨組み以外を木造としょうとすると、例のプレカット木組みができないんだそうですね。だから、大変な手間になって高額な建物になるらしい。
骨組みを鉄骨で造るかぎり、他の部分を根本的に変えないと、結局、高価なものになるって言いますね。
     
話を元に戻しますと、城郭を造るのに角矢倉だけを石造にするのは、大変な手間になったのかも知れないですね。それで伝統的な城郭構造になったらしい。