イソップの宙返り・236
    
イソップいわく、フロメテウスが粘土から人間を創ったとき、粘土を水ではなく涙と混ぜた。
だから、涙を切り離せはしない。涙は切りつめ和らげ、できるだけ眠り込ませる。そのような気遣いなら、涙は喜んで服するのである。
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今は「男は涙を見せるものではない」ことになっていますね。ええ、人前では涙を流してはならない、ってことになっています。
男だって、涙を流すほど悲しいことがありますのにね。
古い表現には「滂沱(ぼうだ)の涙」とか「君を懐ふて涙滂沱(ぼうだ)たり」なんて表現もあり、号泣(ごうきゅう)なんて言葉もあります。
       
「地をまろびつ、号泣する」と言えば俊寛(しゅんかん)が鬼界島(きかいがしま)に置きざりにされる場面を思いだしますね。平家物語、源平盛衰記ですね。能にも近松の浄瑠璃にもありますね。
あれは、こんな話ですね。平清盛の専横を憎んで、1177年(治承1年)俊寛は、藤原成経(なりつね)、平康頼らと、平氏討伐をはかりますが謀議は失敗(鹿ヶ谷事件)。捕らえられ、鬼界島に流されました。ところが、翌1178年中宮御産祈祷のための大赦で成経、康頼は帰京を許されましたが、ひとり俊寛のみは残留を命じられました。
ふたりを乗せた船が島から遠ざかって行くのを俊寛は「地をまろびつ、号泣」します。
でも、あの演出も近年は涙を控えめにするそうですね。男が涙を流すのを、ただ女々しいとの世の風潮を勘案しての演出だといいますね。
      
男が涙を流すのを女々しいってことになったのはいつ頃からなんでしょうねぇ。
明治以後の軍国主義社会のセイでしょうかね。平家物語、源平盛衰記の戦国武将でも手放しで涙を流しますし、号泣がむしろ美しいと考えられていたフシがあります。
ボクは思うんですが、涙を隠す風潮は公家の「描き眉」と関係があるんでは?
お公家さんは眉を剃り落として、額に丸い眉を描いていますでしょう?
あれ、眉は感情を露わにしますから、眉を動かす筋肉から離れた額に眉を描くと、ひとに感情の動きを悟られないからだそうですねぇ。
そう言えば、「描き眉」をした公家の表情は、無表情で茫洋としています。
        
日本はミヤコの文化をよしとする社会ですから、公家の雛人形が庶民に拡がったり、寒冷地にも寝殿造りとか書院造りが真似されてきました。
きっと、男が涙するのを潔しとしないのは感情を人に悟られない公家の「描き眉」文化が真似されたように思うんですがね。コジツケの珍説かなぁ。
      
でも、フランス映画では、男がさめざめと泣きますよね。ええ、涙を流して、さめざめと。
あれ、いいですね。
なに? 「涙を流して、さめざめと」はアランドロンでないと似合わない?
そんなこと言わないで、ブ男も美男も、悲しいときには「涙を流して、さめざめと」、「滂沱(ぼうだ)の涙」を流して、地面を転がりまわって号泣しましょうよ。