イソップの宙返り・229
        
豚と犬
豚と犬とが、いがみ(啀)あっていました。豚が「吠えるのをやめないなら、牙で引き裂いてやる」とアプロディテ女神にかけて誓うと、犬は「それこそ見当違いだ。アプロディテ女神は豚を憎み、豚肉を食べた者が神殿に入るのを禁じておられる」と言いました。
すると豚は「女神は豚が憎いからではなく、豚を生贄にして殺させないために、そうしていなさるのだ」と答えました。
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豚肉はシナでもヨーロッパでも主要な食糧なのに、その地理的な中間の中東のイスラム教やユダヤ教、ヒンドゥー教では豚肉はタブーとして、徹底して豚肉は食べませんね。
豚肉を不浄視する理由は「豚は人糞を食べるからだ」と言う人がありますが、普通の飼い方をしているところでは、人糞なんか食べさせないように思うんですがね。
また、「豚は不潔な動物だから、タブーなんだ」との説明をする人がありますが、あれは豚の飼育をよく知らない人が言うことでしょうね。
豚は意外にきちょうめんで、排便の場所も低い湿った所にきめる性質があるんだそうですよ。ええ、牛や馬のように所かまわずやることってないようですね。
イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教で豚肉をタブー視するのは神話とかの伝承によるとしか考えられない。まあ、中東では羊の飼育が盛んだったので、穀物で養う豚より、ふんだんにある牧草で養える羊の方が貴重な家畜だったとも思えますね。
      
イノシシを捕らえて飼育することは早くからエジプト、ギリシアやシナなどで行われていたらしいですが、これはどこから伝わったというものではなく、同時発生的に行われたようですね。
古代エジプトでは、遺跡の壁画絵画によると紀元前5000年には飼育されていたそうですし、古代ギリシアでも、シナでも紀元前2000年ころには養豚が行われていたことがハッキリしているんだそうですね。
シナや、その文化的な影響を受けたと思われる沖縄ではお祭りの供え物は豚の貌ですね。
あれは貴重なタンパク質を恵んでくれた神に感謝のシルシとして供えるんでしょうねぇ。ああ、生贄(いけにえ)としてね。
      
最近、小型の豚をペットにするのが流行っていますね。
ニューギニア高地人は、豚に名前を付け、飼育係の女性が同じ小屋に寝て子供のようにかわいがるって言いますね。
でも、彼らは一度に数百頭、ときには数千頭の豚を殺して、大祭宴をやるそうですね。
名前まで付けて可愛がったペットを食べるのも野蛮なように思うけど、ボクもやったことがあります。
食料の不自由な戦時中のことですが、春のはじめにウサギを買って貰いましてね。毎朝、川の土手にエサにする草を採りに行きました。
ええ、名前は忘れましたが、ペットらしい名前をつけていたように思います。
夏休みの終わりには、大きくなってしまって、草も沢山食べ始め、子供のエサ集めでは間に合わなくなったことから食べることにしました。
いやー、子供のことだから、草集めに飽いてしまったのでしょうねぇ。
       
名前まで付けて可愛がっていたのに、特別な悲しみもなく、そのウサギを家族みんなで食べた記憶があるんですがね。
ボクが食べられるかと、母が気を遣っていたことを憶えていますが、本人のボクは別に平気でしたね。母が「あんた、あんなに可愛がっていたのに、よう食べられたなぁ」なんて言っていたなぁ。
母方の祖父が飼っていた猟犬が山で獲ってきた野ウサギを食べ慣れていたセイかもしれませんがね。
先日、輸入食料品屋で冷凍のウサギ肉を見つけて、買ってきて食べたけど、固いばかりで、それほど美味いものではなかったなぁ。
ウサギ肉を美味いと思ったのは、タンパク質に飢えていた戦時中のセイだったのかも知れない。