イソップの宙返り・228
        
ラクダと象と猿
動物達が王を選ぼうとしたときに、ラクダと象が立候補して争いました。
ラクダは身体の大きさで、象は力が強いので他を圧して選出されると思っていました。
ところが、猿は両方とも不適格だと言います。
「ラクダは温厚すぎて悪人に怒らないし、象は子豚を怖れるので、象が王になれば子豚が襲ってくる」と言いました。
寓意・どんなに重要な事柄でも些細な理由で阻まれることがある。
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「象が子豚を怖れる」って話は、いろいろ調べましたが、わかりませんでした。
で、ボクはこの話から何故か、継体天皇期の二朝並立の騒乱を連想したんですがね。
ええ、何の関連もありませんかね?
継体天皇って不思議な人物なんですよね。
正史の日本書紀には6世紀はじめの第26代天皇と書かれていますが、正史って「正しい歴史」であることは極稀れ。ええ、正史って政府が書いた、或いは政府公認の歴史書と言うだけの意味。
もともと、日本書紀は藤原不比等が持統天皇にオベンチャラをした歴史書だというのが多数説のようですからね。いや、オベンチャラではなく天皇制の擁護だという説もありますがね。まあ、同じことか?
        
この継体天皇は先の25代の武烈(ぶれつ)天皇に継嗣(あとつぎ)がなかったので、大伴金村大連(おおとものかなむらのおおむらじ)が中心となって福井の丸岡から招聘したことになっていますが、応神(おうじん)天皇の五世の孫だとされています。
五世の孫というだけで天皇継承権があるなんて、だれも思わない。
いくら武烈(ぶれつ)天皇が凶悪な天皇で継嗣を殺戮したと言われても、何も五世の孫まで探してこなくても、もっと近い皇孫の一人や二人おられたと思いますからね。
それに、先代の武烈(ぶれつ)天皇のことが、極端に悪し様に罵られていますから、平和な禅譲ではなかったんでしょうね。
      
継体天皇は当時のヤマト王朝の本拠である大和には20年間入っていないんです。ええ、うろうろと摂津、河内を巡り歩いていましてね。入れなかったというよりも、淀川、木津川、それに大阪湾周辺に都を転々としてんたらしい。統一王朝の創設のためらしいですがね。
継体の治世には磐井(いわい)の大反乱(527〜528)が起こったことになっていますが、磐井(いわい)は独立した国で、もともとヤマト王朝に帰属していなかった国らしいですから、日本書紀が、「乱」と書いているのも、わざとらしいですね。政治的プロパガンダかなぁ。
それに、継体の承継者・安閑(あんかん)・宣化(せんか)朝と、欽明朝の二つの王朝の間には9年間も対立が続いています。
        
継体天皇が何らかの事変によって没したが、その直前に欽明天皇が即位しているらしいんですよ。前の天皇の死亡前に、次の天皇が即位しているのも奇妙ですしね。
こんなことから、林屋辰三郎氏は、こんな仮説を立てています。
4世紀後半に大和(やまと)王権は全国をほぼ統一して、朝鮮へ出兵したが、やがて朝鮮経営に失敗し、出兵の徴兵の過酷な負担から地方で族長・民衆の反抗が起こった。
九州の筑紫では、この反抗が磐井の反乱となって爆発し、内乱は大和にも及んで、皇室内にクーデターが起こったと言うんです。
その結果、渡来系の蘇我が擁立する欽明が即位。一方、伝統的な氏族である大伴は、その後、欽明朝に対抗して安閑、宣化を擁立した。そして、二朝並立に至ったことになります。
まあ、この二朝並立は宣化の539年の死によって終結して、欽明朝に終結されたと言うんですがね。
これ、面白い説でしょう?
       
それにしても、「ラクダと象の話」と何の関連もなかったかなぁ。