イソップの宙返り・206
      
ガチョウと鶴
ガチョウと鶴が同じ草地で餌を食べていると、猟師が現れました。
身軽な鶴は無事に逃げましたが、ガチョウは身体が重いので、もたもたしているうちに捕まってしまいました。
寓意・このように人間でも、内乱がおこったときに、貧乏人は身軽で、別の町へと移動しやすいが、金持ちは持ち物が多すぎて身動きできず、身を滅ぼすのだ。
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フィレンツェにポンテ・ベッキョって橋があります。橋の上が商店街になっており、金細工屋が並んでいます。
何で、橋の上に金細工屋かと言いますと、北から外敵が攻めてくると橋の南へ逃げ。南からやってくると橋の北へ逃げるためだと言いますね。
まあ、金細工だと袋に詰めて容易に逃げられるんでしょうねぇ。
そんな必要のなくなった今でも、ベッキョ橋には金細工屋が軒を連ねていますがね。
ヨーロッパを旅行すると、町は城壁で囲まれています。特に地中海沿岸では、丘の上に城壁で囲まれた町がありますね。
ボクらには珍しいですから、いっそう異国情緒を感じますが、日常生活は不便でしょうねぇ。
       
日本でも、城下町は道路が狭くて曲がりくねっているのは、外敵の侵入を考えての工夫なんだそうですね。
内乱がおこったときの住まいといえば、京都には中世の内乱時代を感じさせる町並みがいまもあります。
京都は日本の町では珍しく「通り」の名前で呼びます。何々通り上がる下がるとかね。
普通の街では何々町でしょう?
まあ、ほかの街でも京都風に何々通りって所も少なくないようですがね。ええ、何々銀座通りなんてね。
ところが、京都の街路は家屋は数十軒の固まりのブロックなんですね。だから、表口は狭くて奥に長い。ええ、家屋の真ん中に通路が通っています。
たいていはタタキ(三和土)ですね。
         
昔は、あの数十軒の固まりのブロックの中央は空き地になっていたものだそうですね。
ええ、北から敵が攻めてくると、中央空き地を通り反対側の家の通路を通って南へ逃げ。南からやってくると北へ逃げるために、中央に空き地、各家にはタタキ(三和土)の避難用通路を造っていたといいます。
江戸時代になって平和になると、逃げる通路を確保する意味がなくなったので、まわりの家が中央空き地を取り込んで、ツボ庭にしてしまったと聞きます。
京では、町屋保存運動が盛んですが、中央空き地もなくなっているし、家屋の中に逃げ道の通路もなくなっていますから、震災とかで表から火が出ると逃げ場がないですよ。
         
京都には狭い路地を辿った奥に喫茶店とか飲み屋があるでしょう。
ボクは10年前の阪神大震災を経てからは、震災恐怖症に罹っていますから、あの奥の喫茶店に、昼間すわっていても何やら落ち着かない。
        
内乱時の建物といえば、表千家の不審庵と、裏千家の今日庵の佇まいは対称的ですね。
ええ、隣り合わせにあるから、よけいに対称的。
不審庵は高い塀で囲って、門も城塞風。今日庵は潜り門で、外から容易に入られる姿。
あの二つの建物のある地下鉄鞍馬口駅西側は、京都にしては珍しく碁盤目道路が乱れています。あの辺りは応仁の乱のはじまったところで、家屋が壊滅して、ながらく瓦礫状態であったらしく、道路の形状まで失しなわれてしまって、あんなになったそうですね。
そうすると、頑丈な表構えの不審庵の方が、応仁の乱以前の京の大邸宅の姿を残しているのでしょうか。
    
いずれにしても、最近はやりの町屋ホテルに泊まるとしても、何かあったら、すぐに表に飛び出せるところがいいし、ポント町(先斗町)みたいに鴨川の河原に、ポンと飛び出せるのがいいような気がする。