イソップの宙返り・190
     
アテナ女神
金持ちのアテナイ人が船旅をしていたところ、嵐で船が転覆しました。
他の船客は助かろうと泳ぎましたが、アテナイ人はひたすらアテナ女神にお祈りしていました。
そばで泳いでいた人がアテナイ人に、こう言いましたとサ。
「女神に祈るのもいいが、自分の手足も動かせ」
寓意・神の助けを祈るのもいいが、自分のことは自分で考えて、何とかしなければならない。
☆     ☆
夏のはじめに新潟、福井で豪雨がありましたが、市町の防災担当者が避難指示をしたのはずいぶん遅れていたそうですね。
ええ、堤防が決壊した後だったとか聞きますね。
明石市の遊歩橋での事故では、そうとう前から橋自体が揺れていたそうですよ。
まあ、橋が倒壊するまでに将棋倒し事故が起こってしまったようですがね。少なくとも、異様に危険な状況にはなっていたらしい。
でも、警備担当者達はノホホンとしていたんでしょうねぇ。
        
行政の担当者でなくても、洪水の真っ最中に沢登りをやっていた人とか、高波注意報がででいるのに釣りをしていた人とか、「どうして、そんなことしたの?」なんて聞きたいぐらい危険なことをする人がいますねぇ。
でも、これは後から考えて言えることらしい。ええ後智恵。
あれをみていると、どうも人間のそうとう部分、いやほとんどかなぁ、はノホホン組のように思えてくる。
      
そうなると、ノホホン人間を行政の防災担当者に任命しても、危険予知能力が突然できるものではないのでしょうねぇ。
心構えだけで、能力がでてくるものではないのでしょう。
重要な地位に任命された人は挨拶で「身の引き締まるおもい」なんて言うことになっているけど、思いと心構えで、能力が湧き出てくるものではないのでしょうねぇ。
まあ、当たり前のことですが。
      
たいていの人間はノホホン人間だと、ボクは思っています。
そこへもってきて、行政にながらく携わっていると、前例とか手順で頭がイッパイになっているでしょうから、危機管理能力なんて期待するほうが無理。
      
洪水といえば阪神間には大洪水がむかしありましてね。
昭和13年(1938年)の阪神大洪水。そうそう谷崎潤一郎も細雪で書いていましたね。
あの時には48時間で1000ミリ降ったそうですね。
1時間30ミリの豪雨だと3メール先に白いカーテンが垂れ下がっているようになり、まったく前が見えなくなるらしいですよ。
でも、当時の阪神間の人間は「えらい降るなぁ」って眺めていたらしい。
まあ、逃げ出すについても、どこへ逃げていいのかわからなかったこともあったらしいけどね。
「ここは川から離れているからだいじょうぶ」なんて人も多かったらしい。
川から離れているなんていっても、わずか1キロだけだった住民まで、そう思ったらしい。
それに、阪神間の川はすべて滝川。ええ、ただの滝。
洪水で裏山から土石流が滝川を埋めてしまって、川水はすべて川から溢れてしまったとか。
それでも、「川から(1キロ)離れているからだいじょうぶ」なんてみんな思ったんでしょうかね。
        
ボクらは、「役所には専門家がいるから、避難勧告が出るまで様子をみよう」なんて思ってしまうけど、役所にはノホホンの石頭だけしかいないものと思った方がいいみたい。
雨がカーテンのように降り出したら、役所の避難勧告なんかアテにしないで、逃げるにシク(如く)はなし。
役所をイソップ寓話のアテナ女神に譬えるつもりはないけれど、『自分のことは自分で考えて、何とかしなければならない』。