イソップの宙返り・183
   
オンドリと宝石
オンドリが餌を探していて、宝石を見つけました。 
すると、オンドリはこう叫びましたとサ。
「なんと詰まらぬものを見つけたことか。 俺にとっちゃ、世界中の宝石よりも麦一粒の方がよっぽど価値がある」と。
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人によって宝石の価値はちがいますねぇ。まあ、宝石は売ればオカネになりますから、オカネの価値でもありますが、オカネの価値も人によって相当違う。
ボクの金銭哲学は「卑屈になるほど貧乏ではなく、オカネに引きずられるほど金持ちでもなく」でした。まあ、オカネから自由である、が究極の望みでした。
間違っていますかね? 
人の生きる哲学と言いますか智恵ですから、「カラスの勝手」。どれが間違とかの話ではないんでしょうがね。
       
古諺に「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」って言葉がありますねぇ。
まあ、生きる為のカネに必要以上に執着する愚かさを教えている諺ですねぇ。
そんなことを言っても、女房子供ができると「寝て一畳」なんて、言っておれないですもんね。子供が大きくなると子供部屋も造ってやりたいし、周りの家が40インチのプラズマ・テレビを置き始めると、そこそこ大きいリビングも欲しくなりますしね。
        
「起きて半畳、寝て一畳」なんて悟りすましたことを言えるのは、子育ても終えた老人だからこそでしょうねぇ。
それに、老人の二人住まいでは、子供達も独立してしまって使わなくなった開かずの部屋までできてしまっていますからね。
あれ、人生の皮肉でしょう?
大きな家の欲しい子育ての時期には、そんなに大きな家を手に入れることができないですから、狭い家ですねぇ。
ええ、「もう一部屋あれば・・・」って皆思いながら暮らしていますよね?
       
ボクの金銭哲学として傲慢になるほどのオカネはいらない、なんて綺麗事をいいましたが、振り返ってみると傲慢になるどころか、「もう一部屋あれば・・・」って思いながら暮らしました。
こんな老人の勝手な喋りを聞いていて、不愉快になった貴方に言いたかったことは「あるようでないのがカネ」。
大きな屋敷にふんぞり返っているヤツも、見かけほどのカネはもってはいない。
「世の中、あるようでないのがカネ」はホントよ。
       
土地ブームで先祖伝来の山を売って、少々の小金をもったヤツはいるけど、持ち慣れないカネって悪魔なんですよ。
たいていの小金持ちは頭がおかしくなるもんよ。
    
聖書では三位一体って言うでしょう?
父と子と聖霊ってね。
あれ肝心のことを忘れているように、ボクには思えるんですがね。
忘れている肝心のことって、悪魔。
人間って弱い動物で、すぐに悪魔に魅入られる。
ほんの僅かの小金で、悪魔に魅入られてバカになり、有頂天の鬼畜になってしまう。
        
「オカネに引きずられるほど金持ちでもなく」って、悟りすました金銭哲学を披瀝しましたが、人が僅かの小金で悪魔に魅入られているのを屡々目にしてきた上での感慨でした。
でも、「卑屈になるほど貧乏」もツライけどね。
人はカネだけでは幸せにはなれないけど、カネだけで不幸にはなるもんねぇ。
道成寺の清姫ではないけれど「カネに恨みはかずがずゴザル」。
ああ、清姫が言ったのはカネはカネでも、鐘でしたかね。