イソップの宙返り・179
       
人間とサテュロス
ある時、人間がサテュロスと友人になりました。
冬が来て寒くなったので、人間が口の前に手を持っていき温かい息を吹きかけました。
サテュロスは「何で、そんなことをするのか?」と訊ねました。
「手が冷たいから温めているのだ」と答えました。
やがて夏が来たので、暑い食べ物をたべるのに、人間が息を吹きかけました。
サテュロスは「何で、そんなことをするのか?」と、また訊ねました。
「料理が熱いので冷ましているのだ」と答えますと、
サテュロスは「同じ口から、熱い息をだしたり、冷たい息をだしたりするヤツは信用できない」と怒りましたとサ。
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サテュロスって人間の姿なのに、馬の耳と尾、それに馬の脚と蹄をもつ野山に住む精霊なんだそうですよ。
「同じ口から、熱い息をだしたり、冷たい息をだしたりするヤツは信用できない」なんて怒るけど、日本人は仏教も神道も一緒クタなんですがね。
いやー、クリスマスになるとクリスマス・ケーキまでね。
        
同じ口から、お経を吐き出しているかと思うと、神社で柏手。
「こんなヤツは信用できない」なんて言われても、困るンですがね。
なかには、仏教なのか神道なのかもよく分からないでやっているのが、盆と正月。
まあ、正月はお寺さんとは関係ないと思うけど、正月にお寺さんを呼ぶところもあるらしいから、関係ないときめてかかるわけにもいかないそうですが・・・
          
正月は、まだ先の話なので、盆の話。
おボンって、あれ仏教行事なの?
おボンにお寺さんを呼ぶところもあるらしいけど、やっていることはセンゾ祭りでしょう?
日本の習俗でややこしいのは、センゾ祭りが仏教行事とゴッチャになっていること。
おボンの行事って小(こ)正月を中心とする正月行事と似ているんですよね。
満月の夜を中心とした祭りで、盆の七夕(たなばた)は、正月の七草(ななくさ)と似ています。16日の藪入(やぶい)りはどちらにもありますしね。
ええ、年神棚と盆棚、正月小屋と盆竈(かま)、トンドと迎え火・送り火の火祭りなんてね。
もともと、ボンと正月は同じセンゾ祭りだったらしいですよ。
        
そう言えば、おボンにやる盆踊りって、寺とかお経とは関係ないでしょう?
ボンって言う言葉もセンゾ祭りの際に供物(くもつ)をのせるホトギっていう器物の古い名前だそうですね。ええ、正確にはボニですか。
死んだ人をホトケって呼ぶのも、この供物(くもつ)をのせるホトギが語源だそうですよ。
そう言えば、ネブタ、ネプタとかの眠け流しなどで形代(かたしろ)を送り流すのは、ハッキリと伝承行事の禊(みそぎ)の行事ですもんねぇ。
    
お寺さんは商売がうまいから、ボンをウラボンエ(盂蘭盆会)にかこつけて仏教行事みたいにしてしまったけど、あれオカシイのではない?
それに、盂蘭盆会ってマガマガしい説話のように思える。
あの話は、目連(もくれん)っていう尊い人が、餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しむ母親を救おうとし、お釈迦(しゃか)さんの教えに従い旧暦7月15日に百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)を盆に盛り、僧たちに供養したところ、僧たちの偉大な功徳(くどく)によって母親を救うことができたという説話なんですね。
ええ、目連救母って言いますね。
       
でも、ボクらは葬式から法事までボウズの言いなりに布施を出して、それにありがたい戒名までつけてもらったのに、センゾが実は餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しんでいたなんて、三菱自動車じゃあないけれど、リコールして欲しいよね。ひどい欠陥供養。
「センゾは餓鬼道(がきどう)に落ちている」なんて嚇かすから、恫喝産業なんて言われるンじゃあない。
「同じ口から、熱い息をだしたり、冷たい息をだしたりするヤツは信用できない」