イソップの宙返り・176
     
法螺吹き
國ではいつも、もっと男らしくやれ、とケチをつけられていた五種競技の選手が、ある時海外遠征にでて、帰ってくると大言壮語して「あちこちの國で勇名をはせたが、ことにロードス島では、オリンピア競技祭の優勝者でさえ届かぬほどのジャンプをしてやった」と話してまわりました。
「もしも、ロードスへてかけることがあれば、競技場に居合わせた人が証人になってくれよう」と付け加えました。
これを聞いた人が「それが本当なら証人はいらない。ここでやってみよ」といいましたとサ。
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オリンピックの話題と言えば、野球がありますね。
前回優勝できなかったから、今度は選手全員をプロ野球からだすんだそうですね。
ところで、プロ野球の盛んなのは数カ国だけでしょう?
こんなところへプロの選手を派遣したのは、如何なものでしょう?
それに、日本の中でも、オリンピックへの参加を夢みていたアマチュアを排除したらしいですね。
        
ところで、オリンピックってアマチュアの祭典だったのでは?なんて思うのは、時代遅れなんでしょうねぇ。
1967年にはオリンピック憲章から、アマチュアという用語までなくしてしまったらしいですね。
まあ、いろいろある国際競技連盟のアマチュア規定が、そもそもテンデバラバラらしいから、アマチュアなんて言っても意味がないのかも知れませんが。
 
それに、オリンピックの目的って何になんでしょうかね。
オリンピック憲章には「スポーツを通じ、相互理解の増進と友好の精神によって、より平和な世界の建設に協力すること」になっているけど、あのオリンピックが始まると日本のメディアは国粋主義一色になるでしょう?
学校での国旗掲揚にまで批判的だった朝日新聞まで、「日の丸が、なんぼ揚がった。金が幾つとれた」なんてね。いや、「なんぼしか、とれなっかった」でしたか。
        
もともと、オリンピック大会は、個人やチームの間で競われるものでしょう?
だから、メダルも個人やチームに与えられるものではないんですか。
「どこそこの國は金メダルがなんぼだった」なんて言うけど、あれおかしいよね?
あれだったら、メダルは個人やチームではなく、國単位で渡すほうが、スッキリしません?
       
でも、オリンピックの競技そのものは、観ているだけで楽しいですよね。
ボクは「人間って、こんなにすばらしい生き物だったのか?」と観ているだけで感激します。
それに、日本の選手が優勝して、国旗日の丸が掲揚され、君が代が演奏されると、何ともジーンとなります。こんな風に単純に感激するのは、ボクだけではないみたい。
ボクだけどころか、日の丸にも、君が代にも批判的だった人までそうなるらしい。
いやー、4年に一度の祭典をみていると、「国家制度は永遠なり」って思ってしまう。
こんな国粋主義の甘さに浸るのは日本だけではないんでしょうね。
      
ボクらの若いころには、国家の壁を取り除いての世界国家の建設が理想のように言われたけど、オリンピックが始まって世界中が国粋主義に酔いしれると、世界国家なんて夢のまた夢のように思えてくる。
こんなことで、オリンピック憲章のいう「より平和な世界の建設に協力すること」になるんかなぁ。