イソップの宙返り・130
        
子供とカエル
カエルが沢山住んでいる池のほとりに、大勢の子供がやって来て、池の中へ小石を投げました。
何百もの小石が水に落ち、カエルは難儀をしました。
今にも命が危いと心配しましたが、その中に一匹の勇敢なカエルがいました。
危険を恐れず、水面に頭をだして声高く言いました。
「ああ、思いやりのない子供らだわ。お前達には遊びでも、我々カエルにとっては命にかかわることである。よくやっていることの道理をかんがえるべきである」と言いましたとサ。
☆     ☆
この話はヨーロッパから中東にかけて各地にあるそうです。
カエルもいない砂漠地帯にまであるそうですよ。
まあ、ボクらは砂漠地帯にはカエルはいないように思いますが、砂漠にも雨期があるそうですから、住民にすればカエルを、まったく知らないわけでもないのでしょうがね。
       
口碑(言い伝え)のなかでも、こんな寓話と伝説とは違うものなんでしょうが、日本でも砂漠にカエル的な伝説ってありますねぇ。
ええ、その最たるものは平家の落人伝説でしょうか?
壇ノ浦で滅んだ平家の落ち武者が隠れたはずのない、九州とか沖縄にまであるそうですねぇ。
四国、紀州あたりだと、そりゃあ、ないとはかぎらないともおもいますが・・・。
安徳天皇の御在所とか陵墓でも、10カ所を越えるそうですから、真偽をあんまり詮索しても土地の人達を侮蔑するだけなんでしょうし、そうでないと断定するほどの根拠も、なかなか見つからないでしょうねぇ。
            
でも、この落人伝説って、まんざらの作り話でもないように思えるんですがね。
山深い僻地に同族と思われる人達が住まっているのは、何らかの由縁があるように感じられる。
例えば、住み始めた時代考証から、源平の壇ノ浦合戦からの落人でないとしても、他の戦乱から山奥に難を避けた人達かもしれないしね。
ボクは「平家の落人伝説」は全部ウソだとは断定できないように思っています。
            
こんな伝説が、どうして出来上がったかの詮索なんですが、格好の主題に「白米城」伝説があります。
白米城伝説ってこんなこと。
平野に孤立する山城(高城)で籠城しますと3ヶ月で水がなくなります。
包囲した側は、城に水がなくなるのを待っているんですねぇ。
ええ、水攻めとも言いますね。
         
この時に、はるかに望見できる城の中で、白米を水に見立てて馬の背にかけて、「馬を洗うほどの水がタップリあるぞ」とばかりにデモンストレーションしたら、包囲軍が水攻めをあきらめて去っていった、って伝説。
これのバリエーションは、馬を洗っているのが水ではなく白米だと、土地の百姓が告げ口して全滅してしまった、ってのもありますがね。
ええ、何故かこの告げ口したのがバアさんなんですねぇ。
イヤア、いらん告げ口をするのはバアさん、なんてステロタイプ過ぎるような気もしますがね。
          
でも、この話は実話ではあり得ないそうですよ。
籠城軍は白米を持つことはなかったそうです。ええ、決して。
山菜とかの保存食料は貯えていても、新鮮な野菜は手に入らてかったんですから、ビタミン補給のためには玄米食だったらしい。
ウウーン、そうか!
      
籠城は、半年以上の長期持ちこたえなければなりません。
ええ、周囲の政治状況が変わって攻めている側の本城が危なくなって、何時までも包囲しておれなくなることを狙っているんですからね。
まあ、援軍の到来を待つ短期の籠城作戦もあったでしょうがね。
     
それにしても、この白米城伝説って全国に数十カ所もあるそうです。
ええ、お宅の近くにも地名として残っているところがありますか?
白米で馬を洗うなんて、籠城戦の模様が皆の記憶から消えた平和な江戸時代になってから出来た伝説でしょうねぇ。
そうすると、誰かがこの伝説を撒いてまわったとしか考えられないでしょう?
それにしても、土地の人達に、これがこの土地特有の口碑だと信じられなければ、伝説にはなり得ないでしょうねぇ。
各地に同じような伝説がある、ってわかっていたらアホらしくて口碑になり得なかったでしょうね。
     
この伝説が荒唐無稽なウソでもなかったことは、この白米城伝説のある山からは、黒く焦げたコメが出土するんだそうです。
黒焦げのコメは呪術を連想できますから、山城が出来る前には山上で、何らかの祭祀が行われていたんでしょうねぇ。
そんな伝承がないと、伝説を撒く行脚法師が話を伝えても、地元には残らなかったように思える。
ええ、平家の落人部落伝説でも、何らかの下敷きになる故事があったとしか思えない。
だから、平家の落人部落が全部ウソだと断定していいものではない。
         
それにしても、イソップのカエルの話とは関係なかったか?