イソップの宙返り・129
       
商人の心得
商人には、田地食禄というものはない。
人のお蔭で商いをし、家族をやしない、渡世するものだから、お客さんだけではなく出入りする人も粗略に扱ってはならない。
買物に来る人には、お得意と大事にするけれど、仕入れる先には軽しめて無理をいう。
仕入れによって利をとり、商いの種としながら、仕入れ先には恩がましくする人が多い。
扱う商品を細工する出入の職人を、ただいたづらに養い置きでもするように、賎しめる商人が多い。
          
良い品を安く売りこんでくれるお蔭で利潤も出、細工人、職人が工夫してくれた品物のおかげで、おカネを儲けて、家族をやしない、渡世とするのであるから仕入れの代金をよく払い、元方と職人を養えば、彼等もやっていけるのである。
相互に恩にかける道理はまったくない。
         
また、世帯は何事も出過ぬやうに倹約にくらし、子供には粗服を着せ、幼少の時より家業を大切に教え、奢らぬやうに育て、読書算用を第一におしえ、朝は早起させ、家内一同和合を心がけさせ、万端少しも油断のないように身を慣れさせ、わが儘気まゝをさせないことを、よくよく心得え、慎むべし。
☆     ☆
小商人は愛想が大切でしょうねぇ。
愛想って生まれつきの性質のところがありまして、道で人に出会っても、思わず会釈してしまう、って性格の人がありますねぇ。
ボク達夫婦は商人の家系ではないのですが、開けたドアーでも持ってもらうと嬉しいから、思わず笑顔になって会釈してしまいますねぇ。
あれ、会釈もしないで、通り過ぎる人がいますねぇ。
人に少しでも好意を示してもらうと嬉しいし、こちらの好意に答えてもらえると、もっと嬉しいですがねぇ。
          
ある人とこんな雑談をしていると、「なんで、ドアーを支えてくれたぐらいで礼をいわなあかんねん?」なんて返事が返ってきて、ビックリしたことがありましたねぇ。
そうそう、ボクの近くで、よく買いにいっていた魚屋がありまして。
ボク達夫婦も歳をとりまして、好みが変わったものですから、しばらく出入りしなくなっていましたら、街角でバッタリ出会ったので、ボクの方から会釈したら、睨み返された。
         
このまた近くに喫茶店がありましてね。
ここのおかみさんが愛想のいい人でして、ボクらは一度も行ったことがないのに、ながねん道で出会っても挨拶してくださいます。
ええ、あんまり愛想がいいから、一度訪れなければ、と思っているんですが、あのおかみさんの愛想良しは、性格らしい。
それにしても、和やかは双方が嬉しい。
          
ところで、値切りの習慣って、関西だけらしいですねぇ。
ボクの知人に大金持ちの老人がいまして、この人は百貨店に行っても値切るらしい。
ところが、高額商品だと、百貨店でも値切りに応じるようですねぇ。
まあ、外商部を通じれば値引きがありますが、「値段は外商部任せ」ってことになりますが、この人は、その場で値切らないと気がすまないんですよ。
ええ、若い美人の店員と、ゴチャゴチャ喋るのも老人の楽しみなんでしょうかね。
関西人にとっては値切りって、あれコミュニケーションなんですがね。
まあ、1円でも安く買えるのも快感ではありますがね。
          
このコミュニケーションがないと、骨董屋は楽しくないですねぇ。
飛騨の高山には古い物を扱う道具屋が数軒あります。
ええ、信州の帰りには、この道具屋に寄って、ゴチャゴチャ喋るのを楽しみにしていました。
ところが、東京からの観光客がやって来だしてから様子が変わりまして。
まあ、値段が倍になったのは、高山の商人には結構なことですが、道具屋が骨董屋に昇格。それに骨董まで正価販売になってしまいました。
あれ、東京人は値切りって、ただイジマシイって思ってしまうらしい。
ええ、ボク達は楽しいコミュニケーションなのにね。
         
こんな風ですから、外国に行っても、ゴチャゴチャ喋りを楽しんでいます。
香港にはキャット・ストリートって骨董屋とは言えないガラクタ古道具屋街があります。
ボクは仕事で訪れるたびに、物を買う気もないのに、喋りに行っておりました。
ええ、中国人の商人は愛想良しで喋り好き。それに、買わないとわかっている客にも、お茶をだしてくれます。
買うような仕草もしないで、ゴチソウさまって帰っても、嫌な顔をされたことはありませんがね。
       
ああ、骨董屋で、してはならないことは、買った品物を返品すること。
あれ、「ションベンをかける」って言うようですが、これを頻々にやると塩を撒かれる。
返品しないでいいように、しっかり品定めするのが、店主からの情報収集が値切りの形でのコミュニケーションなんですよ。
エヘッ、以上が柄の悪い関西人の、値切りの弁解でした。