イソップの宙返り・125
         
ネズミの相談
ある時、ネズミが集まって相談しました。
「あの猫に捕らえられると、千度悔いても詮がない。あの猫が声を立てるか、足音でもすれば用心して捕らえられないようにできるけど、ひそかに近づいてくるので、捕らえられる。どうすればいいのか?」と言っていますと、
一匹のネズミが、進み出でて言いますのに、
「それにはいい手段があります。あの猫の首に鈴をつけておけば、足音がしなくても、わかる」と言いました。
皆は「もつともだ」と言いましたが、大勢のネズミの内から、猫の首に鈴をつけに行こうとする者がありませんでしたので、この相談は止みになりましたとサ。
寓意・こんな風に、後先の考えもなく了見ありげに口を叩く者は、ネズミにひとしく、ついには恥をかくものである。
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政治家の汚職が続きますと、何とか立派な聖人に政治を任したくなりますね。
でも、ひいき目かもしれませんが、代議士の相当多数は平均以上の人間なんですがね。
ええ、とくべつ下劣な人間がなっているようには思えないんですがね。
ところが、政治家になると、どうしてあんなに愚劣になるんでしょうねぇ。
政治家だけが、ボクらには頼りですのにね。
          
でつい、立派な聖人に政治を任したくなりますね。
理想の人格をもった聖人にね。
ええ、儒教の貴い書物を見ると、大昔、堯(ぎよう)・舜(しゆん)・禹(う)とかの聖人が政治を行った理想の世の中があったと書いてあります。
ところが、どんな世の中だったかの具体的なことは何も書いてないし、それに皆が知らないズーっと昔ってことになっていますよね。
ええ、歴史書に残っているような近世のことではないですねぇ。
あれ、ひょっとして作り話ではない?
儒教を学べば、理想の世の中になる、なんて宣伝のね。
               
ボクらが知っている、近い昔の話では、独裁者はみんな狂ってきているでしょう?
まあ、歴史って言っても、ボクが知っているのは、NHKの大河ドラマとか司馬遼太郎の歴史小説ぐらいですがね。
よく知っているといえば、太閤秀吉とか徳川家康。
ところで、秀吉は甥の関白秀次の一家を四条河原で惨殺しましたよね。
ええ、いたいけな子供達もね。
あれ、数少ない血を分けた幼児達が泣きながら逃げまどうのを追いかけ回して、なぶり殺しにしたって、白雲物語では描写しています。
それに、朝鮮侵攻なんて、あれは何?
大衆の英雄が、狂気に冒されたのを説明するのに窮して、老人性耄碌って、まあ特殊な病気のセイにしていますが、あれは権力に溺れた人間の必然の姿のように、思えるんですがね。
秀吉は人格以外のことについては明敏さを失わなかったですからね。
            
ええ、「権力は人格を崩壊させる」って近代政治学で言う、あれ。
たしかに秀吉は儒学の知識もなく、文字もまともには書けない教養のない人間ではあったらしいけど、身近に見ていた京都の民衆には、大変人気がありました。
ええ、今でも人気絶大。
あの人気からすると、けっして生まれながらの残虐非道な異常性格者ではなかったようですね。
でも、最後は人格崩壊による狂気に陥りましたよね。
        
秀吉の側近は小姓から採り上げられたひとたちでしたから、阿諛追従しかしなかったのでしょうねぇ。
ところが、徳川家康には本多作左右衛門なんて、スゴイ家来がいました。
山岡荘八の「徳川家康」は、まあ、フィクションもあるのでしょうが、作左右衛門は家康に「バカ殿!」なんて凄んでいます。
徳川家康は幼年時代に今川の人質となっていた間に家老達が国を支えていましたから、家老達との力関係もあってのことでしょうが、作左右衛門らの諫めに怒らなかった家康も立派でしたね。
ええ、信長、秀吉が権力で人格崩壊していくのを、つぶさに見ていたことからの自制でもあったんでしょうがねぇ。
        
でまあ、指導者の人格を崩壊させる魔物の首に鈴をつける方法は、本多作左右衛門みたいな勇気ある側近が必要らしい。
ええ、権力の悪魔の首に鈴をつける方法が議会制民主主義。
これが人類のたどりついた智恵だと、ボクは思っています。
           
イソップの教訓話につられて、浅学非才の身が、ヤヤコシイ話をやってしまいましたっけ。