イソップの宙返り・126
      
クジャクと鶴
岡の上で、鶴とクジャクが遊んでおりました。
クジャクが自分の美しいことを誇り、鶴に言いました。
「世の中に鳥は多いが、私の翼におよぶものはない。絵にも描けないうつくしさである」
鶴は憎いと思ったが、さあらぬ態度で、
「なるほど、空を飛ぶ鳥のうちでは、あなたほど美しい鳥はいません。だけど、欠けたことが二つありますよ。まづ一つは、足が汚いのは錦を着て、泥靴を履いたようですよ。
二つには、鳥は高く飛べるのが肝心ですよ。だのにあなたは飛んでも遠くへいけませんね。
これを思うと、翼があっても、翼がないのとおなじ。
あなたは些細なことを自慢して、大きな欠点があることをご存じない」
と言いますと、クジャクは、一言の反論もできずに、すごすごと立ち去りましたとサ。
寓意・自慢すると、ひとは、その誤りを言い出すものである。
☆     ☆
クジャクを卑しめている話には始めて出会ったんですがね。
アジアでは、クジャクは美しいものの象徴ですよね?
インドの国鳥はインドクジャク。それに少しは種類が異なるらしいけど、マクジャクはミャンマー(ビルマ)で国鳥扱いされているとか聞きますね。
古代ギリシア・ローマでも、天空の女神ヘラの神鳥とされていたんでしょう?
           
ところが、近代になってからは声を不吉、尾羽の円い模様が金の眼として悪魔的であるとして嫌われたとか。
そうすると、この寓話は近代に作られたものかもしれない。
字引によると、ヨーロッパでも中世キリスト教時代には、クジャクは霊魂不滅の象徴とさたと書いてありますしね。ええ、西洋語ではピーコックですか。
             
日本での高貴な鳥は鳳凰ですが、「鳳」は殷代の甲骨文字ではクジャクを象形していたとか言いますね。
鳳凰は想像上の鳥なんでしょうが、そう言えば、何とはなしにクジャク風ですね。
孔雀明王って仏像がありますね。
クジャクが蛇を食べることから、毒物や病気をいやす力があるとされ、悪を退治する神になったらしい。
孔雀明王は、もとはヒンドゥー教の女神らしい。
そう言えば、何とはなしにインド的ですね。
              
まあ、余談を戻して、この寓話のことなんですが、ブランド物でクジャクのごとく着飾った女性がいますね。
このごろのブランド信仰って、テレビでお目に掛かるかぎりスゴイ。
           
あれを見る限り、よく聞く二極化現象ってほんとうのような気がしてくる。
不景気なんて、どこ吹く風って感じですねぇ。
でも、オシャレって難しいですね。
クジャクのごとく着飾っていても、知性の感じられない人って、「足が汚いのは錦を着て、泥靴を履いたよう。飛んでも遠くへいけない」って感じ。
           
ええ、それにあんまり華美だと、
「その顔でトカゲ食うかや、ホトトギス」なんて川柳まで思い出してしまう。
これをモジルと「そのなり(姿)で蛇を食うかや、ピーコック」ってとこかなぁ。
エヘッ、これは貧乏人のヒガミ。