イソップの宙返り・124
       
キツネと狼
川のほとりで、キツネが魚を食べていますと、狼が通りかかりました。
狼が「キツネさんよ。私にも分けてくださいよ。いやと言うなら、オマエを餌食にするゾ」と脅しました。
キツネは、「この魚を差し上げたいとは思いますが、わずかですので、どこかで篭を探して持っていらっしゃいよ。一緒に魚をとりましょう」と言いました。
狼は喜んで、篭を持ってきました。
       
キツネは「狼さん。その篭を尻尾につけて、川のなかを歩きなさい。私がうしろから魚を追い込みましょう」と言いましたので、狼は篭を自分の尻尾にくくりつけて泳ぎました。
キツネはうしろから、篭の中へ石をどんどんいれました。
狼は石だと知らないで、魚がたくさんに入ったと喜んで、泳いでいきました。
ところが、だんだんに重くなって、しまいに一足も歩けなくなりました。
          
キツネは狼に、「たくさんに魚が入ったので、ボク達だけでは、あげられません。手助けを呼んできます。しばらく待っていてください」、と言って、人が大勢いるところへ行って、「このあたりの畑を荒らす狼は、たゞいま、あの川のなかで、魚を取っていますよ」と告げました。
人々は喜び、我先にと走って行き、狼をさんざんに打擲しましたが、そのなかに、粗忽な人が刀で切ろうとして、誤って狼の尾を切ってしまいましたので、狼は命からがら山奥へ逃げていきました。
            
その頃、けだものゝ王であるライオンは、病気でねていました。
そこで狼は、キツネに復讐しようとはかりごとを思いついて、ライオンに、
「あなたの病気はキツネの生き皮を剥いで、肌に纏うと治りますよ」と言いました。
ライオンは喜んで、「すぐに、キツネを呼べ」と使いを立てました。
キツネは、呼ばれる訳がわかっていましたので、途中で、わざと泥で身体を汚して、そのままライオンの前に出ました。
        
ライオンはキツネに、「近くに寄れ!」と命じましたが、キツネは、
「私は慌てて泥のなかへ転んでしまいました。お側近くにまいりますと、あなたの着物を汚してしまいますので」
と近寄らないで、遠くからライオンに向かって、
「お医者さんに聞いたところでは、ご病気は尻尾のない狼の生き皮を剥いで、かぶると、すぐに治るとのことです」
と言いました。
「尻尾のない狼なら、ここにいる」と言って、ライオンは、狼の皮を剥いで、キツネの命は助けました。
      
寓意・人をそしる者には禍がある。
☆     ☆
そしる(誹る)って言葉は地方によって使い方が違うようですね。
京阪神地方では、かげでこそこそ悪口を言う、かげぐちをきくって意味に使いますが、一般には、他人のことを悪く言うとか、けなす意味でしょうか。
          
ところで、批評とそしる(誹る)こととは基本的に違うと思いますねぇ。
批評は基本的には良くしようとするのが目的ですからね。
でも、辛辣な批評は、言われた方にすれば、誹謗と感じます。
こんな意味で批評はむつかしいですねぇ。
           
日本では批評とか評論って、言われたほうはムキになって反論しますでしょう?
ムキになっての反論ですから、批評とか評論の内容を、よく読みもしないでピント外れな反論が多いですねぇ。
ええ、感情的になってね。
          
ところで、日本ではいい演劇が育ちにくいと言いますが、演劇批評がないことが、その原因の一つだと聞きます。
芝居では熱烈なフアンの声だけが役者の耳に届いて、適確な批評がないようですねぇ。
新聞の演劇評論を見ても、芝居小屋でくれるパンフレットの紹介文と大差ないような、ヨイショ記事がおおいように感じますが、あなたどう感じておられます?
まあ、ただの紹介記事でも、不案内な素人にはありがたいですがね。
         
これとは関係ないのかも知れませんが、「自分のことは自分が一番よく知っている」って言いますね?
でも、あれ本当でしょうかね。
自分のことって、意外に身近な他人の方が、的確に知っていることって多いですよ。
だから、本当のことを、少し辛辣に言ってくれる親友ってありがたいですよね。
言われたときには、ムッとしても、その内に、じわじわとわかってくる批評ってあるでしょう?
ボクは我意が強いせいか、言われると、ムッとして顔にまで出てしまうタチなんですわ。
思いつきの反論までしてね。
この欠点のために、聞くべき忠告、批評をしてもらえる機会を逃してしまったような気がする。
          
的確な批評って演劇にかぎらず貴重に思えますねぇ。