イソップの宙返り・123
     
狐とニワトリ
あるとき、高い木の上にとまっているニワトリを、狐が捕らえようとして、はかりごとをめぐらしました。
「ニワトリどのに、知らせたいことがあって、わざわざこゝまで参りました。これまで鳥けだものの間で仲間割れをしておりましたが、こんど仲直りをして、これからはたがいに喰いあうことをやめることにしました。それについて、内々あなたに話しておきたいことがありますので、ご苦労ながら、ちよつとこゝまで降りて来てくださいませんか?」
と言いました。
ニワトリは、「それは何よりいいことでございますなあ。でもねぇ、私達は、すこしこゝに用事もありますので、そこからお話しくださいませんか」と言いました。
すると、狐は
「いやいや、私は親切で、わざわざこれまで来たのですから、用事があっても、ちよっと降りて来てください」
と言いました。
         
この時、ニワトリは、こちらを見ずに、はるか向こうを見ていましたので、狐はいぶかって、
「私が親切に言っているのに、なぜ脇見をしているのですか?」
と尋ねると、ニワトリは
「いやいや、けっしてご親切を無視するわけではありませんが、いま向こうから、犬が一匹来ていますので、あの犬にも仲直りの話をしてきかせたいと思って、こちらに着くのを待っているのです」
と言いました。
狐は肝を潰して逃げようとするのを、ニワトリは呼び留め、
「もしもし、あなたは内々知らせたいことがあるからと、ご親切にわざわざおいでくださったのに、犬が来るからと聞いて、なぜそんなに慌てて帰られるのですか。今あなたが言われたのでは、これからさきは鳥とけだものは仲睦まじくするという相談がきまったそうですから、あの犬もこゝへ呼んで、仲睦まじく遊ぼうではありませんか」
と言いました。
狐は、いよいよ慌てて、
「いや、少し用事があったのを忘れておりました。また、そのうちに参ります」
と、逃げて行きましたとサ。
寓意・かくのごとく、人をはからんとするときは、この狐のように、かえって人よりはかられるものである。慎むべし、つつしむべし。
☆     ☆
ニワトリって地面を歩いているものかと思っていましたが、木の上に棲んでいるんですねぇ。
そういえば、伊勢の外宮では木の上にとまっていますね。
ところで、鳥居の由来は、神に鶏を供えるときの止まり木・鶏居なのかと思ってきましたが、これ定説とまでは言えないらしい。
トリイは鶏栖とも書き、ニワトリの栖むところ、とか「通り入り」「止処(トマリヰ)」の意味だとする説もあるらしい。
           
で、ニワトリの話ですが、蒙古襲来の時に神風を吹かせたのは、和歌山県粉河の丹生明神鶏石(にうみょうじんにわとりいし)って話があるそうですねぇ。
いえ、神風を予告したんではなく、吹かせたって。
この話を、ボクは聞いたことがなかったんですが、あなたありました?
       
これからすると、ニワトリは霊力と関係があるとされてきたらしい。
そういえば、天照大神が岩屋に籠られたときの絵に、岩戸の前で木の上に鶏を止まらせているのがありますよね?
夜明けを告げる霊鳥と信じられてきたせいかなぁ。
でも、岩戸から太陽神のお出ましを願うのは、ただの夜明けを告げるだけではなく、もっと積極的に、暗黒の悪魔を追い払い、太陽を呼んでいる姿に見えるんですがね。
中世には、京都の鎮護のために四方の関にニワトリに木綿(ゆう)をつけて放し飼いにしていたらしく、古今集に「逢坂(おうさか)の 木綿(ゆう)つけ鳥も 我がごとく 人や恋しき 音(ね)のみ鳴くらむ」って歌があります。
「ゆふつけ鳥」が逢坂関の景物とされていたらしい。
         
これから連想するのですが、西洋では屋根に風見鶏をつけていますよね。
ええ、神戸の異人館にもあります。
あれは、ヨーロッパで、ニワトリが暗黒の夜の悪魔を追い払う太陽の象徴とされたせいらしいですよ。
中世ヨーロッパの信仰と、太陽神である日本古代の天照信仰と関係があるとは思えないけど、相互に影響はなくても、人間は似たような思いにたどりつくって意味の「文化の収斂」の結果なんでしょうねぇ。