イソップの宙返り・121
        
杞憂
恐れることもないものを恐れている四つの生き物があります。
木にとまり、自分の上に空が落ちてくるのを恐れて、片脚をあげて空を押し返している小鳥。
            
両足をつけば大地が窪みはしないかと心配して、片脚で立っている鶴。
        
地中に棲んで土を食べ、やがて食べ尽くしてしまうことを心配して、いつもつましく食べているミミズ。
     
地上には自分ほど美しい鳥はいないと考えているので、人間につかまって閉じ籠められるのを恐れ、夜にしか飛ばない蝙蝠があります。
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「空が落ちてくるのを恐れて」と言うと、極東の凡俗といたしましては「杞憂」ってことになります。
こんな連想が、すぐに思い浮かぶだけで、まあ、凡庸に間違いなし。
ああ! 今時は「杞憂(きゆう)」なんて、あまり使いませんねぇ。
「杞憂」ってこんなこと。
周の時代に、杞の国(現河南省開封あたり)に、いまにも天が崩れ落ちてくると心配し、寝食を忘れて憂えた人があったと、列子に書かれた故事があります。
無用の心配、取り越し苦労のことを言います。
          
取り越し苦労って、やりだすと、ますます不安になりますねぇ。
特に、夜寝てから心配をしはじめると、目が冴えてしまうもの。
で、翌朝目が覚めると、何であんなことを心配してたのか、自分でもバカバカしいことがありますね。
まあ、天が墜ちてくる、なんてたぐいの心配。
        
「また、朝起きて考えよう」ってのが、安眠が得られるコツ。
で、朝起きて考えても、不安でしようがない場合、ボクがやっていたのは、神戸ですから裏山の六甲山の中腹まで登って、下界を眺めることでした。
ええ、これは阿部次郎の「三太郎の日記」から得たヒント。
下界では、チマチマと家があり、忙しく車が走っています。
その内に、何であんなチマチマとしたことで、自分が悩んでいたのか、バカバカしくなってきます。
すぐ近くに山がないと、できない相談かもしれないけど。
東京タワーでもいいんじゃあないかとも思えるけど、まわりが人で混んでると、あんな心理反応がおこらないかもしれない。
               
それにしても、第4話のコウモリが「自分ほど美しい鳥はいないと考えて、人間につかまらないように、夜にしか飛ばない」ってのは面白い寓話。
それにしても、タマチャンは可愛いですね。
タマチャンこそ人間に捕まらないように気をつけたほうがいいよ。
捕まえて、北海道へ空輸するなんて、「イランお節介」。
        
そうそう、イランと言えば、隣のイラクの国民を親切にも「解放してやる」なんて言って、空が落ちてくるほど爆弾を落とすのは「大きなお世話」。