イソップの宙返り・106
        
ロバとラバ
ロバとラバが列んで荷物を運んでいました。
山道に来たとき、力のないロバがラバに荷物の一部を運んで助けてくれるように、頼みました。
ところが、ラバは助けてやりませんでした。
荷物の重さに耐えきれずロバは崖から落ちて死んでしまいました。
ロバ追いは、ロバが運んでいた荷物をラバに上積みしました。
「ロバが頼んだとき、少しでも助けてやれば、こんな酷い目に遭わなかっただろうに・・・」とラバは後悔しました。
寓意・親切は自分を助けることがある。
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極東の凡俗といたしましては・・・
「親切をすると助けてもらえることがある」ってあんまり期待しないほうがいいようですねぇ。
まあ、ひとに親切をするのは、自分のためだと、はじめから思っておいた方がいいみたい。
ええ、ひとに親切をしておけば、まさかの時には助けてもらえる、ってのは当てにしない方がいいみたいですねぇ。
             
95年の大震災でエライ目にあいましたが、たくさんの人に助けてもらいました。
でも、後で考えると「アイツには、あんなに力になってやり、親切にしてやったのに、見舞いの言葉すらかけてくれなかったなぁ」なんてことがありました。
まあ、そんなのは数人だけでしたがね。
           
人のなかには、淡白というか、いざとなっても薄情な人がいますね。
処世訓を読むと、交わるのには相手の人を見極めてつき合え、って書いてあるけれど、本当にそう。
若いときには、あれを読んで、生きてゆくのに打算的な処世訓に反感を覚えたけど、人間のなかには利用だけするが、お返しは一切してくれない人っていますよ。
こんな人に限って、人を利用するのはうまい。
そりゃあ、親切にされても、お返しをしないつもりなんだから、気楽に頼みやすいでしょうねぇ。
           
とんでもない話へ飛びますが、織田信長が一族の中で孤立していたときに、叔父織田孫三郎がただ独り味方になって助けてくれました。
この恩義ある叔父織田孫三郎信光が邪魔になると、信長は途端に暗殺させました。
それも、孫三郎が信長に頼まれて清洲の城を落とし、その祝賀の能楽の席での暗殺でした。
これは今川義元の刺客だとされてきましたが、前野一族の文書「武功夜話」では、信長の差し金だと断定しています。
この「武功夜話」は前野家文書とも言いますが、内容の信憑性が高いと言われています。
まあ、間違いのないところでしょうねぇ。
          
信長は、その後弟信行を殺しますね。
信長、信行の実母が弟信行を溺愛したことが、兄弟不仲の原因を作ったとする見方もあるようですが、実母ですから信長の残酷さを知っていたんでしょうねぇ。
ボクには、そう思える。
          
ええ、織田信長みたいに冷酷非情なヤツを贔屓にした織田孫三郎みたいなのにはなりたくない、って思う。
なんぼ、親切は見返りを期待しないはずのものでもねぇ。
まあ、戦国の世の中ですから、孫三郎の贔屓も打算のうえに成り立っていた、って見方もありえましょうがね。それにしても、ねぇ。