イソップの宙返り・105
          
神像を運ぶロバ
ロバが背中に神像を乗せて運んでいました。
街に入ると行きあった人達が、ロバの背中に乗っている神像を拝みました。
ロバは自分が拝まれていると思って、有頂天になって威張りましたとサ。
寓意・人は自分の人格ではなく、その地位にひとが敬意をはらうのを忘れて、威張るロバである。
☆     ☆
極東の凡俗といたしましては・・・
太平洋戦争末期から、終戦後しばらくは配給制でしてね。
食料が配給される日には、長蛇の列。
乏しい食料の配給ですから、少しでもたくさん、少しでも良いところを手に入れようとしましてね。朝早くから列びました。
         
小学校低学年だったボクは、母の手伝いで、いつも一緒についていきました。
配給所の係員が、どんな方法で採用されていたのかまでは、覚えていないんですが、何しろ威張っていたことを覚えています。
何か、恵んでくれているような態度でした。
          
小学生の背丈では、奥の方は見えませんで、窓口の少女しか見えていなかったんですがね。
その17,8才の少女の態度が、傲慢だったことを鮮烈に覚えていました。
世間の狭い小学生にとっては、その年頃のおねえさんって、みんな優しいものだと思っていましたからね。
その少女って、特別な人間のように映ったんでしょうねぇ。
           
ところが、それから10年近くも経って母と一緒に道を歩いていると、あの配給所の窓口係だった人が赤ちゃんを抱いて道ばたに立っていましてね。
ボクは、その時「ああ、アイツや」って、敵意を感じたことをハッキリと覚えています。
ところが、母は寄っていって、親しそうに赤ちゃんを抱き上げて、あやすんですよ。
           
少し離れてから、「あの人、配給所の人だったねぇ?」って訪ねると、「ああ、むかしそうだったね」って。
「あの人、むかし偉そうにしていたよね?」って確かめると、「だれでも、配給係になると、そうだったのよ」なんて平気なんですねぇ。
           
ボクが大学生になった時代は、「マルクス・レーニン主義にかぶれないヤツは青年ではない」なんて雰囲気でした。
まあ、ボクは早熟だったセイか、高校でマルクスの著作を読んでいました。
でも、マルクスの共産主義論を読めば読むほど「世の中の人がみんな、あの配給所の連中みたいになる」って思いましたね。
            
生意気な年頃だったセイもあるんでしょうが、「マルクスって、あんなこともわからない世間知らずか!」なんて思いましてね。
まあ、あの配給所での見聞きが、ボクを社会主義思想に近づけさせなかった原体験なんでしょうかね。
           
日本の現状を「七割、社会主義国家」だとか「ソ連が崩壊した今では、世界中で、残っている社会主義国家は北朝鮮と日本」なんていう洒落た言い方がありますよね?
            
この日本の七割を占める社会主義官僚の話なんですが、先年、母校の県立高校の校舎が建てかえられることになりまして。
だれが言い出したか知らないのですが、「卒業生で社会的地位の高いのが、教育委員会に挨拶に行くもんダ」ってことになりましてね。
ボクが社会的地位が高いと思わないのですが。
まあ、そんな不運な数人が連れだって、県庁へゾロゾロでかけました。
別に陳情ではなく、ただの表敬訪問。
          
出会いに行った相手は、教育委員会の係長。
定年係長って風情のショボクレた男。
横の応接セットにボクらを座らせたまま、なかなか立ってこないんですよ。
べつに急ぎの用をしているようでもないのにね。
20分は待たされて、やっと1メートルを移動してくれまして、言うことが無礼なんですよ。
挨拶もしないで、「ええ校舎を建ててほしかったら、設計図ぐらいは用意してきたんやろうなぁ?」といきなり宣うの。
           
「いえいえ、ただの挨拶です」なんて言いながら、ボクらが名刺をさしだすと、「ご苦労さん」とも言わないで、その中に市の局長がいることを発見して、県が上位だ、監督機関だと、行政の一般論なんかをクドクド言い出しましてね。
侮蔑されても、ボクらは後輩達が可愛いから、我慢して「まあ、宜しく」の繰り返し。
今思い出してもムシズか走る。
          
七割を占める社会主義システムの許認可とか行政指導の中で仕事をしている人達が、どんな目に遭っているか、考えただけでも同情する。
潤滑油でかたがつくなら、少々のものは出したいと思う誘惑もわからない訳ではない。
まあ、官僚の鼻毛を抜かなければならない業界に行ってごらん。
          
背中に神像を乗せたロバの傲慢なこと。
やっぱり、社会主義はあかんよぅ。