イソップの宙返り・85
           
オオカミと羊
お腹がいっぱいになった狼が、地面にのびている羊をみつけました。
狼が怖くて倒れたのを知って満足しました。
側へ行き「本当のことを3ツ言うと逃してやる」と言いました。
羊は、こんなに答えました。
「第1に、狼には出会いたくなかった」
「第2に、どうしても、出会う運命ならメクラの狼であってほしかった」
「第3に、おまえたち狼は悪人相応にヒドイ死に方をすればいい」
狼は羊の言うことにウソ偽りがないと認めて、逃がしてやりましたとサ。
寓意・真実はしばしば敵にも力を持つ。
            ☆     ☆
極東の凡俗といたしましては・・・
この国では、真実を話すと人を傷つけることをおそれて、婉曲表現が尊ばれますよね。
婉曲表現といえば二重否定。
「・・と言えないこともない」って表現。
司馬遼太郎が多用した、あれ。
           
司馬遼太郎は文芸評論家からは、大衆小説家と分類されていますが、ボクは「大衆」なんて言葉だけでも好きだなぁ。
で、司馬遼太郎が多用した二重否定の婉曲表現は大衆の智恵。
ボクは「なるほど、こう言えば角がたたずにすむのか」って教えられることが多かった。
       
でも、先の羊の3つの本当じゃあないけれど、本当のことをハッキリ言わなければならない場合ってあるんですねぇ。
この最たるものが、国際的な交渉ごと。
あれは、相手の目を見据えて、ハッキリと真実を告げるべきなんですよ。
まあ、これも時と場合によりましょうがね。
          
外交官の「パーハップ(多分)」はノー、女の「メイビー(多分)」はイエスなんていうでしょう?
役人の「前向きに検討いたします」は、「何にもしないこと」ですか?
関西弁で「考えさせてもらいまっサ」って、ノーのことなんですよ。
でも、これが「考えさせてもらいます」となると、再考するって意味になることがあります。
こうなると曖昧ですから、「いつ返事がもらえますか?」って問いつめる必要があるんですよ。
このやりとりは微妙で難しい。
           
エライ人の言う表現で難しいのは、「日本人は」とか「中国人は」って表現。
日本語には、一部と全部を区別する表現がないでしょう?
まあ、角の立つ言い方はありましょうがね。
で、「日本人は勤勉である」なんてのは「日本人の多数は勤勉である」って意味にとらないといけないし、「日本人は無趣味である」なんてのは「日本人の中には無趣味な人もいる」って意味だろうしね。
            
日本人の勤勉タタキが姦しかった時期があったでしょう? 外国からね?
ボクらは、「そんなことを言うアメリカ人をウイークディの競輪場に連れていけばいい」なんてホザイていましたがね。
一度ウイークディに競輪場の前を通ってごらん。
まあ、暇人がいるもんですよ。日本人の中にもね。
             
ボクは「日本人って趣味豊かな国民」だと思っていますよ。
まあ、釣り人口も多いしね。
詩歌を作る人口が、200万人なんでしょう?
詩歌でも、今は俳句の方が、短歌より盛んのようだけどね。
でも、詩歌を作る詩人が200万人もいる民族なんて、世界中にある?
             
ボクはガイジンに、日本人は「働き過ぎ」だって言われたら、いつでも詩人人口を言ってやった。
相手は、ギャフンとして、黙りこんだもんねぇ。
「どんなもんだい」ってね。
              
表現が曖昧だから、ボクがたいした詩人だと誤解して、ギャフンとなったのかもしれない。
エヘヘッ。
詩を作らない詩人だって、詩人と言えないこともない。
絵を描かない絵描きだって、絵描きと言えないこともない。