イソップの宙返り・61
      
腹をすかせた犬
腹をすかせた犬達が、川の中に毛皮が浮いているのを見つけました。
まず、川の水を飲み干して、毛皮を取ろうとしました。
川の水を飲み干さないうちに、飲み過ぎで、お腹が破裂してしまいましたとサ。
寓意・欲に駆られて、危ない橋を渡り、望みを達する前に滅びてしまう人がある。
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極東の凡俗が思いまするに・・・
こんな人が、日本では充満しております。
特に、永田町、霞ヶ関あたりに。
でも、永田町怪文書といわれるものが、跋扈しているそうですが、これで囁かれているもので公になるのは、ほんの一部らしい。
           
バレて「望みを達する前に滅びてしまった人の中で、哀れだったのは社民党の辻元清美さん。
まあ、おりもしない政策秘書をデッチあげて給料を流用したのは、けしからんけど、どうも代議士の中でも貧乏なヤツはやっているのが多いらしい。
        
あの時の周りの反応が、ボクには興味深かった。
辻元さんに対する、社民党、特に土井党首の冷たさ。
秘書給料の流用って、いわば型式犯でしょう?
貧乏な人のイジマシイ犯罪。
犯罪であるかぎり、これがいいことだと肩を持つ気持ちはないけど、もっと悪いヤツがわんさかといることを、みんな知ってるよね。
社民党の人達の冷たさを見ていると、あの人達が理想としている社会主義社会って、あんなに冷たい社会なんだなぁ、思った。
ソルジニーツエンの収容所列島を読んだ時に感じた、冷酷な社会を連想してしまった。
思い過ごしかなぁ?
         
自民党の加藤代議士のを見ると、「元」か、「影」か知らないけど、秘書ごときが口利きをしただけで、億単位の裏金が動いているんですからね。
辻元さんのゴマカシなんて、イジマシイだけ、とてもワルには思えない。
でも、「水に落ちた、犬に石を投げつける」のが世の風潮なんだから、マスコミと一緒になって、石を投げるのが世渡りの術なんでしょうがねぇ。
それも、正義って名前の石を、安全な崖の上からね。
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昔の本の話になりますが、「暮らしの手帖」に「アラバマ物語」ってのが載りました。
これは、グレゴリーペック主演の映画になりましたから、憶えておられる人もあるとおもいますが。
田舎町で弁護士をやっていた、主人公が、黒人の青年が白人の女性を殺した嫌疑で裁判になったのを弁護する話。
家には、石を投げ込まれるワ、の迫害に遭います。
黒人の青年の無実は証せましたが、町から「石をもて、追われる」ことになりました。
たしか、この時の子供が昔の町を通りすぎる時の想い出でから、物語は始まったように記憶するんですが。
ボクには、話の細かいところの記憶はアイマイになってしまっているんですが。
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話が変わりますが、大阪の小学校を襲った宅間って犯人がいるでしょう。
あれの弁護のことで、出会う人ごとによく訊かれるんですが、「あんな犯人に味方する弁護って、人間として恥ずかしくないのですか?」って、質問。
              
重罪には弁護士が、弁護をしないと裁判が開けないことになっています。
適切な弁護をして、本人の言い訳を聞いてやることが、リンチと正義の実現としての裁判の違いってことになっています。
          
まあ、こんな裁判制度の難しいことは飛ばして、先ほどの質問の後半部分の「人間として恥ずかしくないのか?」には、「金儲けなら何でもするのか?」ってニュアンスがあるので、このことを少し説明します。
小学校襲撃事件を起こすようなのには、たいてい弁護を頼むお金なんてない。
で、こんなのの為に国選弁護って制度が作られています。
アメリカでは、地方自治体が費用を出して、国選弁護を専門にする公立事務所を作っているそうですが、日本には、そんな気の利いたものはありません。
            
国選弁護にはささやかな費用が出ることになっていますが、まあ、事務所経費を考えると無料に近い低額。
で、国選弁護人「希望者」名簿って建前の、実は半ば押しつけのボランティア名簿を弁護士会は作っています。
そして、名簿順に指名されます。それも、1人づつ。
でも、偶にとは言え、宅間なんかがあたると、立ち往生。
        
不運にも名簿の順番になった人は、アラバマ物語じゃあないけれど、石を投げられる。
子供は学校に行けなくなるし、奥さんは実家に逃げることになる。
で、この攻撃を薄めるために、多人数の弁護団が組まれます。
で、「なんで、あんな悪党に大弁護団がつくのか?」ってことになる。
あんな事件に巻き込まれると、事務所の入り口にはカメラマンが押しかけ、本来の依頼者は入ってこれなくなり、開店休業。
            
「金儲けなら何でもするのか?」って質問には、「金儲けなら、やりたくない」ってのが実情なんですがね。
まあ、中には、「よっしゃ、やったる!」なんて奇特な人もいますが。