イソップの宙返り・62
             
犬とウサギ
犬がウサギを捕まえて、咬んだかとおもうと、唇をなめ回しました。
ウサギが言いました。
「やい、犬め、敵なのか味方なのかわかるように、咬むのかキスするのか、ハッキリしてくれ」
寓意・どっちつがずの人がいるものだ。
           ☆     ☆
極東の凡俗といたしましては・・・
ひとは味方にもなり、状況によっては味方にもなる。
でも、ひとの不運をみても、とことん味方になる人もいますがね。
戦国武将の行動をみていると、日本人って信義に乏しい人種かなア、なんて思ってしまうけど、信義に厚い人もいますねぇ。
         
日本の歴史上、最も人気のないのは石田三成。
彼は秀吉子飼いの武将ですが、秀吉との約束を最後まで守りました。
まあ、最近は名誉回復的な小説も書かれましたが、それでも人気が出たようでもありませんねぇ。
徳川幕府の息のかかった人達が書いた江戸時代の記録では、徳川の敵だった三成にはひどいことが書かれています。
           
あの手の記録では、時の権力者に媚びる内容になっていますね。
中国の歴史書は、政権を倒した次の王朝が、書くことになっていますから、ヒドイ内容にならざるを得ないんでしょうねぇ。
隋の最後の皇帝は、南北に運河を興し、いまだに、この運河を重宝しているのに、暴君だったとして煬帝(ようだい)なんて、「てい」とも読まない仕来りになっています。
         
それにしても、徳川時代になっても、前の政権の秀吉はあんまり悪口は書かれていませんねぇ。
あれは、卑賤の身から天下人になったんで庶民の人気が高かったせいでしょうか?
でも、秀吉には、赦せない暴虐があります。
秀次一家の虐殺。
秀次自身が謀反をたくらんだとは思えないのですが、まあ真実はわかりませんが、一家を皆殺しにしなくてもよかったようにおもいますがね。
妾に召された北国武将の御姫さんなんか、何の関係もないのに、京に着くやいなや、そのまま三条河原に連れて行かれて、一緒に首を刎ねられたそうですね。
        
秀次の一生を書いた「白雲物語」でも、この哀れな姫君のことは悲しんで書かれています。
それに、秀次って「殺生関白」なんて呼んで、人殺しが好きだったって言うけど、あれホントウなのかなぁ。
彼が統治していた近江八幡に行くと、学問もあり、文芸にも優れた武将としてあがめられていますがね。
       
吉良上野介なんて、忠臣蔵では憎まれ役ですが、統治した岡崎、吉良では名君として、いまだに崇められているそうですね。
      
そうそう、石田三成の所領だった、江北でもそうらしい。
         
日本人って、手のひらを返したように、没落した人を悪し様に言う人だけではなく、ちゃんと真実を伝える人も多いように感じる。
       
でも、最近のマスコミって、手のひらを返したように平気で悪口をいうけど、みんなどんな風に感じているのかなぁ。
「水に落ちた犬に石礫(いしつぶて)」なんて日本人らしくないよ。