イソップの宙返り・53
           
黒丸鳥と鳥
黒丸鳥の仲間内では大柄なのが、同類達をバカにして、鳥のところへ行って仲間にしてほしいと頼みました。
鳥達は黒丸鳥の姿と鳴き声をバカにして叩きだしてしまいました。
鳥に追い出されて、元の仲間のところに帰ってきましたが、先の侮辱に憤慨して仲間に入れてくれませんでした。
寓意・祖国を捨てて、他国を選ぶ者は、どちらからも評判が悪く、疎まれる。
        
極東の凡俗といたしましては・・・
これは閉鎖的だった昔の話なんでしょうねぇ。
そう考えないと、帰国子女の立場がないなぁ。
帰国子女がいじめにあう話が昔あったけど、あれは閉鎖的な田舎町の東京の話のように思えるんだけど。
         
帰国子女イジメに「協調性がない」なんてのがあるけど、たしかに日本人は協調性を大事にしますよね?
でも、ボク達の協調性って7,8人までのことではない?
何十人もの団体になると、派閥ができますよね。
        
で、比較文明論をはじめるけど、これには異論も多いと思いますので、シッカリ反論のメールがいただけることを期待します。
          
まず、日本人とか、日本文化は特殊だと言うけど、どんな文化も特殊ですよね。
ボクらは外国に住んだり、旅行したりで接触するのは、たいてい都会人でしょう?
これは世界各国、都会人の共通の行動様式がありますから、協調性についても都会人共通の性向がありますよね。
だいたい都会人の協調性の乏しさは世界共通のように思えるんですがね。
          
ところで、日本人の偏った協調性を説明するのに、農耕民族説ってのがあります。
これは「モンスーン地帯農耕民は時候に合わせて、いっせいに農事を始めるから、これが協調性の性格を形作った」って言う説でしてね。
ボクも、口当たり耳障りがいいから、何となく使うけど、これ考えて見るとヘンだと思いません?
          
土地によっては、村中が総出で一つの田圃に苗植えをして、次々に移って行く習慣のあるところもあるけど、これは灌漑が不便で、一時には給水できない地方だけのやり方のように見受けるんですがね。
それに共同作業は、ほぼ田植えの時だけでしょう?
まあ、かって大地主がいて、農奴制度の伝統の色濃いところは別にしてね。
     
ボクは農村生活の知識が乏しいものでして、これを全国的なものとして敷衍して考えるのも、やや問題があるとも思えるんですが。
その乏しい知識ってのは、神戸のバックの播州地方の農村のことなんです。
職業がら農村の争い事ばかりに接してきました。
農村って牧歌的ないいところもありますが、水利権と境界争いが多いんですね。
田植えで、水を割り当て以上に取り込んだとか、畦を崩して田を取り込んだとか、山林の境界石とか木を動かした、とかねぇ。
            
農業って、事業形態自体が、人々の協調性を特に進めるようには思えないのですがね。
ボクは、学者達が、日本人の特性の協調性を農耕で説明するのが、長らく不審だったんです。
この間、コリン・ターンブルの「森の猟人ピグミー」を読んでいて、ひょっとすると日本人の協調性の性格は狩猟漁労文化からはじまったのではない?って思い始めたんですがね。
                
どんな話かと言いますと、弓とか槍で鹿とかの中型獣を獲るには共同作業が不可欠なんですね。
追い込む谷間に、蔦で作った網を伏せておいて、山から勢子が追い込んでくる。
網で逃げ場を失った獲物を近くから弓を射かけます。次に槍で致命傷を与える、ってのが手順なんですね。
まあ、その場で射殺す場合だけではなく、重傷を負った獲物を追跡することが多いんですね。
で、日本の古代のように照葉樹林、針葉樹林の森の深いところでは、住んでいるのは中型獣でしょう。
これには、共同作業が必要なんですね。
草原地帯では小型と、極端な大型ですが。
中型獣を狩るには共同作業が協調的に出来ないと飢えるんですねぇ。
ターンブルの「猟人ピグミー」を読んでいて、「アア! そうか」って思いました。
         
余談になるかもしれませんが、この時に矢に印しをつけたことが、日本人みんなに家紋がある始まりだと言います。
        
日本では、狩猟漁労の時代が長い、って言います。
ほぼ2万年続いたようですね。
これは土器が早くから出来ていたこと、森と川が豊かだったことが原因だといいますね。
        
狩猟漁労の時代って言うと縄文時代ですよね。
日本文化は色濃く縄文の信仰と生活習慣を引いていることは、広く言われてきました。
だから、日本人の協調性は農耕民の伝統と言うよりも、縄文の狩猟漁労文化の名残だとボクは思い始めています。
こんな思いつきを人に聞いてもらうのは面はゆいのですが、でも、この仮説は大事に広げ深めて行きたいと思っています。
と思う、今日この頃です。