イソップの宙返り・45
        
ゼウスと人間
ゼウスは人間を創ると、それに知恵を注ぎ込むようにエルメスに命じました。
エルメスは知恵を等分して注ぎ込みました。
小柄な人は知恵が満ちて賢くなったのに、大きな人は総身にまわりかねて、愚かになってしまいましたとサ。
寓意・大男、総身に知恵がまわりかねる由縁である。
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極東の凡俗の大男といたしましては・・・
「総身に知恵がまわりかね」とか「ウドの大木」は子供のときからよく言われてきましたが、「愚か」まで言わんでもええやんか。
それにしても、エルメスって、ええかげんな神さんやなぁ。
元はと言えば、ゼウスの生産管理が悪かったのよ。
どうして、くれる?
         
ゼウスに怒りにいったら、「遺憾とするところであります」なんて言うんかなぁ。
ね? よくあるでしょう?
工場長が悪いことをしていたのがバレて、社長がテレビに出てきて、「遺憾とするところであります」なんて。
        
遺憾って「残念であります」ってのと同じニュアンスに聞こえますね。
何か、自分と半ば関係のないことを評論しているような、責任回避的なアイマイ表現。
           
戦後、日本語を乱した第一は官僚用語ではありません?
「ら」抜き言葉を取りあげて、若者言葉の乱れをいう偉い文化人がいるけど、官僚の責任回避的アイマイ表現の方がよっぽど日本語を乱したよ。
まあ、昔から「外交官のメイビー(多分)はノーで、女のノーはイエスである」なんて言うけど、「前向きに検討します」は、「何にもしないこと」なんて卑怯な造語が日本語を乱したよ。
           
で、ゼウスへの恨みつらみ。
エルメスに命じる時に「濃度を一定に」って言うべきよ。
まさか、ゼウスは知恵を等量にとは思っていなかったと思うけど、どうしてくれる?
       
大男って「押し出し」が立派でしょう。
で、余計にバカにみえるのかなぁ。
なるほど、昔から「山椒は小粒でも、ピリリと辛い」って言いますね。
でも、江戸川柳は「辛くても、山椒の小粒はしれたもの」とも言うよーダ。
          
ゼウスと羞恥心
ゼウスは人間を創ると様々な心を入れましたが、羞恥心を入れ忘れてしまいました。
いれる口がなくなって、羞恥心には肛門から入ってくれと頼みました。
羞恥心は嫌がりましたが、ゼウスがあまり頼むので、条件を付けました。
「もし、ほかのものが更に入って来たら、すぐ私は出ていきます」って。
寓意・男色者がすべて恥知らずなのは、こういう訳だ。
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極東の凡俗といたしましては、この話は省略したかったのですが、有名な話を省略するのも、どうかと思いまして・・・
        
男色は日本では歴史のある「文化」ですねぇ。
信長と森蘭丸の関係もそうだといいますが、本当かどうかは知りません。
何しろ、森蘭丸の子孫が、いらっしゃるのでねぇ。
だいたい、歴史って噂話でしょう。
       
男色は「文化」だなんて、言ってしまったけど、「廓文化」って言いかたをしますもんね。
そうとう上品な人のなかでも、「本腰をいれて・・」なんて廓のセックス言葉を使うひとがありますもんねぇ。
       
上品な奥さんが「弟がオカマをしまして」なん言い出されるもんだから、エエ!とばかりに顔を見返したことがある。
でも、彼女は語源をご存知なくて、耳で聞くままに使われたらしい。
         
読者の中には上品な、又は、上品すぎる方もおられるので、説明しますと、
オカマって、男色のこと。男色のセックスは「ほかのものが更に入って来たら」ってことになる。で、追突事故のことをオカマっていうんです。
今日は、これでおしまい。