イソップの宙返り・15
      
農夫と息子達
      
農夫が息子達を一人前の農夫にしたくて、遺言をしました。
「せがれ達や、うちのブドウ畑には宝物が隠してあるのだぞ」って。
息子達はブドウ畑を隅からすみまで、掘り起こしました。
宝物はもともとなかったので、みつかりませんでしたが、耕された畑からはブドウが何倍もとれました。
それからというもの、息子達は畑をしっかりと耕しましたとさ。
寓意・労働こそが宝物であるとの教え。
        
賢い父親ですね。
息子達の強欲を上手く利用したんですね。
        
でも、最近日本では、こんなことがあります。
ブドウ畑ならぬ植林。
杉の植林は、50年は経たないと売れるほどの木材になりません。
ところが、いま山にある植林は3、40年くらいが多いんですね。
           
最近経験したのは、紀州にある檜の植林なんですが、檜が商品価値を持つのは70年くらい。
しかも、杉にしても、檜にしても、伐採して切り出して市まで運ぶのに膨大な費用がかかります。
運び出す道路に近くないと、まず費用倒れ。
それも、道路までの搬出ケーブルを設置しなければなりません。
一山だけで、ケーブルを設置しては採算がとれませんから、隣の山林が歩調を合わせて、設置できる場合しか、伐採しての商品化は難しい。
そんなに周りの山がまとまって伐採できるような成熟状況にあるのは稀ですねぇ。
         
商品価値を持つまでは、あと何年か植林作業がいるんですねぇ。
人件費の暴騰した今では、毎年大変な費用を投入し続けなければなりません。
しかも、費用を20年投入しても、20年先の木材相場は不透明。
        
ブトウ畑なら、家族労働で間に合うでしょうし、秋になれば毎年収穫できましょうが、植林はそうはいかない。
広大な山林での間伐、下枝落としのは重労働で、熟練もいりますから家族労働でできるものではない。
しかも、ここ10年間の木材価格の下落で山林主さんは、貯えを失ってしまっています。
貯えを失っていることは、この山林を担保に金を貸していた金融機関が軒並み倒産したことでもわかります。
南紀州には金融機関は全くなくなってしまっています。
この債権を回収する回収機関も大変でしょうね。
なにしろ、担保の山林は、いまのままでは経済的な価値はないでしょう。
山林は立木だけが、値打ちでして、底の山地は価値ほとんどゼロなんですよ。
それにしても、回収機関が20年も植林管理の費用を補給して経営を継続してはいけないでしょうしね。
           
かって40年ほど前には、関西では「吉野の山林ヌシさん」は大金持ちの代表でした。
この大金持さんの資金を、吉野ダラーなんて呼んだ言葉までありました。
大山林主さんの中には都会に出て事業に成功しておられる人たちも多いですから、こんな人は植林管理の費用を出し続けておられますがね。
           
山林を受け継いだボクの友達は、「父親が楽しみにしていたものだから」って、無駄を覚悟で費用を出し続けているけど、もう、こうなると、経済活動ではなく親孝行の道楽ですよね。
先代は、一所懸命に子孫に美田を残そうとなさったのでしょうが、これほど時代が変化すると、その思いが子孫に負担を残すことになったなんて、やりきれないなぁ。