イソップの宙返り・1
              
ええー、イソップ物語は「エソポのハブラス」、「伊曾保(いそほ)物語」から始まって、無数の日本語訳がございます。
私ごときがこれに屋下に屋を架すつもりはありません。
まあ、狙いますのは比較文化論といきたいのですが・・・
前置きの長いのは「下手の長談義」。
では、ベン・エドウィン・ペリーの大著アエソピカ725話の全部と言いたいのですが、まあ面白そうなのを選んで書いてみます。
        
ワシとキツネの物語
鷲と狐が友達になって木の上と下ですむことにしました。
キツネが生んだ子供を置いて餌を探しに出かけた隙に、腹をへらせたワシがキツネの子供をとって、鷲の雛の餌にしてしまいました。
キツネが、子供を殺されたことにも増して、辛かったことは、空を飛べない悲しさ、仕返しができないことでした。
ところが、野原で生け贄の山羊が焼かれている時、鷲が舞い降りて火のついた腸を祭壇から盗みました。
それを巣に持って帰ったところが、突風が吹いて巣が燃え上がりました。
鷲の雛は焼け死んで、地面に落ちてしまいました。
キツネはワシの親の目の前で雛を食い尽くしてしまいましたとさ。
で、イソップ名物の寓意(中世言葉では下心)。
「友情の誓いを破る者は、弱い被害者からの懲らしめを逃れても、天罰は免れぬ。」
        
これに極東の凡俗が解説をつけようと云うのであります。
キツネ君、ワシの面前で復讐の鬼になって雛を食い尽くしても、我が子を喪った悲しみは癒されることはなかったのでは?
西洋の恨みの文化と、東洋の慈悲の文化との違い。
         
この話から東洋の凡俗が得た教訓。
「胡散臭いヤツとは友人にならないこと、近寄らないこと」。
             
これで思い出すのは、連帯保証の難。
これには昔から「請け判の難がなければ、男一人前」ってことわざがあります。
「決して、迷惑をかけることはありませんから、(連帯保証の)ハンだけ押して・・・」って頼まれると、断りにくいもの。
断れない相手への応対方法には定式があります。
1000万円の連帯保証を頼まれたら、一割の100万円を差し出して「これで、利息の足しにでもしてください」と言って、連帯保証だけはことわること。
                
「ええ? 100万円も、なんで出さないかんねん?」と思うほどの相手なら、あっさり断ること。
100万円も出さなければ義理が立たない相手なんて、そんなに多いはずはない。
だったら、100万円出すよりも、頼まれたとおり(連帯保証の)ハンだけ押す方が楽だと考えないこと。
出す100万円がないのだったら、突然銀行が1000万円取りにきたら、どうするの?
「決して、迷惑をかけることはありません、と言っている相手を信用したい」と考えるのは、おかしい。
だって、そうでしょう。
その相手は、お金がないから銀行から借りるんでしょう?
それが、どうして「決して、迷惑をかけること」がないの?
自分のお金100万円を貸せるのは、手元にお金があるからでしょう。
返してもらえないでも、諦めればすむこと。
まあ、惜しいけどね。
でも、銀行が連帯保債権を取り立てに来るのは、お金がない時にやってくる。
こっちも、夜逃げしかない。
迷惑を受ける相手が息子とか、可愛い姪が、家でも建てるのなら良いよ。
諦めもつく。
これが、たいした恩義もない「友人」から難を受けると、みんなの笑い者。
ね?「胡散臭いヤツとは友人にならないこと、近寄らないこと」。
イソップの東洋的教訓。