いろはガルタ・十五
      
「す」の京ガルタは「雀百まで踊りわすれぬ」
「幼い時に身に付いた習慣は、年をとっても離れない」って解説されているけど、良い習慣へのほめ言葉には、あまり遣わないようですね。
だから、褒める時に遣うのは誤解されそうな諺になりますか?
なんやら、京都人のいうことは、辛辣な裏がありそうで警戒してしまう。
げすの勘ぐり、っていうものかなぁ。
おベベを褒めるのに「はんなりしたエエ色どすなあ」って言い方がありますが、あれはいつでも褒め言葉とはかぎらないらしい。
状況によっては「チンドン屋みたいに派手」って時にも遣われるとか。
         
ところで、「はんなり」は由緒ある語源を持っていますそうで・・・
舞楽の「埴破(はには)」が語源だそうです。
舞楽は槍を持ったり、派手なお面をつけて舞いますが、この埴破だけは、素面で手に埴玉だけを持って洗練洒脱な演出なのだそうです。
これから、洗練洒脱な様の褒め言葉になったとか。
だのに、「チンドン屋みたいに派手」に流用することないじゃんか。
          
大阪ガルタの「す」は「墨に染まれば黒くなる」
これ「朱に交われば、赤くなる」の上の句らしい。
まあ、悪い友達とはつきあわない方が良いことは確か。
        
江戸ガルタの「す」は「粋は身を食う」
色町なんぞで、「粋」なんて褒められると身をくずす、ってことらしい。
「傾城に振られて帰る果報者」って言葉もありますしねぇ。
昔からの言葉に「褒め殺し」ってのがありまして、「粋」って褒めて身を持ち崩すのを待つ作戦があります。
派閥争いの激しい会社なんかでは、この「褒め殺し」が使われていますね。
人を陥れる高等戦略(?)。
           
ええぇ、やっと仕舞いになりました。
京ガルタの終わりは「京に田舎あり」
「開けた京にも、田舎がある」って意味。
でも、今の京都には畑もほとんど見あたらなくなりましたね。
        
江戸ガルタの千秋楽は「京の夢、大阪の夢」
夢物語を始めるときの呪文だそうです。
ところで、千秋楽は神楽歌の「万歳千歳」を歌いますが、これを雅楽の曲名「千秋楽」にこと寄せて呼んだことによるものらしい。
(大阪ガルタにも千秋楽はあるのでしょうが、探してもみつけられませんでした。)
        
カルタごときに永らくおつき合いくださいまして、ありがとうございました。
でも、三都の気風を比べてみると、ちょっとした風土記めいたものになりましたね。