いろはガルタ・九
     
京ガルタの「ま」は「播かぬ種は生えぬ」
なにもしないで、いい結果はえられない。
でも、「果報は寝て待て」がありますね。
諺って、たいてい反対のものがありますね。
でも、人生って、そんなもんでしょうね。
場合によっては反対のことが良い結果になることがありますよね。
だから、矛盾している!なんて怒らないことにしょう。
人生なんて矛盾の固まりなんだから・・・
      
大阪ガルタの「ま」は「待てば甘露の日よりあり」
恥ずかしながら、ぼくは「待てば海路の日よりあり」って憶えていました。
瀬戸内には日より待ちの港が多いですから、思い違いをしてしまっていたらしい。
この手の思い違いって、貴方ない?
たとえば、「兎追いし、かの山」を「兎美味しい、かの山」にとか。
      
江戸ガルタの「ま」は「負けるは勝ち」
これも思い違いしていました。「負ける『が』勝ち」に。
負けたほうが、勝よりも歩がいいことってありますね。
あまり、勝ちにこだわることもないのが人生だと達観したいもの・・・
        
京ガルタの次の「け」は「下駄と焼味噌」
焼味噌は板に塗って焼くことから、外形が似ていても下駄と焼味噌のように内容が違う、ってこと。
でも、下駄といえば「下駄を履くまで、わからない」っていう勝負途中の負けおしみの方がポピュラーですねぇ。
これはマージャンの時なんか、誰かがいっている。
みんな靴を履いてきているのに・・・
      
大阪ガルタの「け」は「下戸の建てた倉はない」
下戸は酒の飲めないヤツのこと。
でもねぇ、身上を潰した大酒飲みはいっぱい知っているけど、お酒ものまないで、爪に灯をともすようにして、身代を築いた人っておおいですよね。
金持って金を使わないで「出るを制する」から貯まるものですよね。
だから「下戸の建てた倉はない」は酒飲みのヤケ台詞。
ところで、昔の行政上の分類では、下戸は貧乏人のこと。金持ちは上戸って云う。
          
江戸ガルタの「け」は「芸は身を助ける」
芸事の盛んな江戸ならではの諺ですね。
大阪ガルタでは「芸事はしんしょう潰す」とでもいうのかと思うけど、船場のダンハンの中には、能役者が毎朝出稽古しにきていたお家がありましたねぇ。
まあ、一昔前の話ですが。
でも、芸事ってお金のかかるものらしい。
         
芸事って云えば家元。家元って勝手になんぼ名乗ってもいいものらしい。
経歴詐称にはならない。
芸事でお金が儲かるのは家元だけ。
だから、「たこ焼き消化道家元」なんて名刺に刷るのはどうかなぁ。
たこ焼きを食うばっかりでは、ただの「無」芸大食で、芸にはならんのかなぁ。
        
京ガルタの「ふ」は「武士は食わねど、高楊枝」
高楊枝は、今食べたばかりに爪楊枝を使うこと。
で、「清貧で気位の高いこと」の意味だと思ったら、間違い。
辛辣な京雀の言う意味は、「貧乏人のやせ我慢」のこと。
反幕府の気風のみなぎっていた京ですもんね。
        
大阪ガルタの「ふ」は京と同じ。
         
江戸ガルタの「ふ」は「文はやりたし、書く手は持たぬ」
今は書く手に不自由はないけれど、みんな筆無精になりましたね。
ぼくは社会に出る前から、筆無精はくれぐれも注意されました。
お陰で何時も鞄に絵ハガキを用意しておきまして、簡単に3行のハガキを出してきました。
          
ところで、絵葉書のことですが、新婚旅行にハワイにでも出かけるカップルには「結婚式の前に、ハワイの絵葉書を買ってきて、『披露宴ご出席ありがとうございました。』を書いておいて、ハワイから投函するよう」に勧めてきました。
これ好評。
だって、新婚旅行先からハガキが来ると、普通の旅先からの便りではないでしょう。
もらった方は感激しますよ。
これ、「生きる知恵」のノウハウ。