世代間の意識のずれ
       
先日見た、テレビのワイドショーの話題をもちだしますが、おつき合いください。
1、は、「車中の化粧」
最近、少女のなかには、人前で化粧する人がめだちますね。
たしなみを教えない家庭教育のせいだと言ってしまえばそれまでですが。
西洋では、人前で化粧するのは、売春婦の「目下営業中」のシグナルです。
でも、戦時中の家庭のたしなみ教育のブランクのせいでしょうか、相当年輩の女性でも、人前で平気で化粧する人がありますね。
口紅を直すのが平気って人は多いですね。
食事のあとで口紅をなおすのが嗜みになっていた処と、時があったみたいですね。
でも、僕は女姉妹がいなかったから女性の化粧をしているのを拝見するのは、珍しくてすきでしたがね。
これに匹敵するのが、男の爪楊枝。
日本のホテルのレストランでは、爪楊枝をテーブルにだしてありますね。
あれは西洋では嫌がりますね。
ぼくは近しい人たち10人ばかりとドイツ旅行をしたことがありましたが、西洋通がいまして、爪楊枝を持参。
食後には、みんなに配ってくれるんですわ。
そのうち超一流のフォシーズン・ホテルでこれをやったら、ボーイ長が苦情を言ってきました。
でも、歯並びの悪い日本人の年寄りには必需品なんですがね。
いちいち、食後化粧室にいって爪楊枝を遣えるか?となると、ご婦人の口紅なおしに文句をいえる筋合いはないことになる。
まだすごいのはズボンあげ。
人前でズボンを一旦おろして上げなおす剛の者もいますね。
女性の口紅直しなんて可愛いいもの。
で、「車中の化粧」は世代間のずれとは関係ないことになってしまいました。
      
2,は「ペタンコ座り」
若い人が集まる街で、路上にペタンコ座りをしているのが目立ちますね。
でも、僕らでも、山に行くとペタンコ座りします。
ハイキングの時もね。
で、ハイキングの行き帰りでは、どこまでペタンコ座りが認められるのかなぁ。
むかし、上高地からのかえりに松本電鉄の新島々駅にきたら、混んでいて、疲れていたから、時間待ちにプラットホームでペタンコ座りしたことがあったけど、あれは行儀がわるいんかなぁ。
町中の路上でペタンコ座りするのは、行儀がわるいことになっているんでしょうね。
でも、工事やっているひとたちは休憩は路上に座っていますね。
あれ行儀悪いと怒られたら困るだろうなぁ。
それに、一昔前までは、路上でみんなしゃがんでいましたね。
便所が西洋式になってからは、しゃがめる人は少なくなったのでしょうが。
でも、田舎では、しゃがむのは今でもよく見る風俗ですね。
なんで、しゃがむのは良くて、ペタンコ座りするのが行儀が悪いのかわからなくなってしまった。
         
3,は女のタバコと酒。
むかしは女でタバコを吸うのは年配の人だけだったような気がしますね。
子育ての終わるまではタバコは吸わなかったように思います。
それに経済的な理由もあったんでしょうね。
行商なんかで、お金を自分で儲けているおばさんなんかは、堂々と吸っていましたよね。次は酒。
僕のまわりの女性って、酒飲みが多かった。
女性の隣に座ると、日本の宴会ではお酒を一応すすめるのが礼儀なんでしょう。
で、一応だけすすめたところ、お断りになったから、しつこくはすすめなかったんです。あとで、恨まれていたことを知りましたね。
「気の利かない人」って。
すすめるのは一応ではいけないものらしい。
こうなると、女のタバコと酒は、世代間風俗考とは何の関係もないことになってしまった。
            
4、は「人前でのキッス」
なんぼ、人のことが気にならない僕でも気になる。
いまのところ見聞が乏しいから、ブスとガキのやっているのにしか出会わなかったけど、あれが、エエ女だと気になってしょうがない。
パリなんかで、奮いつきたくなるようなエエ女とやっているのを見ると、心おだやかではなかったねぇ。
いつまでも見ていて、つまずきかけたことまである。
      
トーンダウンして、手をつないで歩いてるの、貴方はどう感じます?
神戸は外国暮らしの永かった人がおおいせいか、年配の人でも手をつないで歩いてる人によくであいます。
あれ、粋ですねぇ。
カミさんに言ったら、「独りで歩けんようになったら、手をつないだげるワ」って言われた。壺坂霊験記のお里沢市でんがな。
         
5、は「若い者は食べ物を大切にしない」
戦後飢え世代としては、食べ物なんて残せないんですねぇ。
気の張る宴会だと「船場の旦那」風に、ひと箸だけつけて、後は残すように心がけているんだけど、またしても箸が動いてしまう。
生まれは争えない。
若い人風に食べ物は残したいものです。カロリーコントロールのためにも。
なんやら、この「世代間風俗考」は若い奴に迎合してばかりいるなぁ。
      
で、最後は辛口批評。
今これを書いています時には、アメリカのテロの話で、テレビも新聞も持ちきりです。
ところが、僕は、こんな報道に、なんとも違和感があるんですね。
僕は10歳の時に終戦を迎えた1935年生まれなんです。
この世代の戦争経験は、頭の上から爆弾や、焼夷弾が降ってきた経験なんです。
ですから、ニューヨークのビルが崩壊しているのを見ると、広島長崎で死んでいった人たちが二重写しになってしまう。
10年前の湾岸戦争の時にバクダット空襲の映像を見ると、あの下を逃げまどっている人たちが、自分に二重写しになってしまいました。
なぜか、ミサイルのボタンに手をかけているカッコいい立場には自分が映らないんです。
なんぼ、アメリカの報復攻撃を期待するような報道を見せていただいても、これから逃げまどうアフガニスタンの人たちに自分がなってしまうんですよ。
           
半世紀前、日本が真珠湾攻撃をしたのを、世界の人はこんな風に怒ったのかと思えるけど、タリバンに支配さている人々は、殺戮してもいいと同じ考えで、「軍国主義者に支配されているから、広島長崎には原爆を落として殺戮すべきだ」と考えられたのか、って思うと悲しい。
どうも、空襲の中を逃げまどった世代と、日本のマスコミの若い世代とは全く違う感じ方をしてしまうんですね。
どちらに正義があるかよりも、泣きながら逃げまどう自分が目にうかんでしまう。
なんとも情けない世代。