いろはガルタ・五
      
「れ」の京ガルタも、大阪も、「連木で、腹を切る」
連木って、すりこぎのこと、これでは腹は切れないでしょうね。
でも、「扇子腹」ってのがあった。
これは小刀を腹に突き立てるのではなく、小刀の代わりに扇子を腹に当てる仕草だけで、介錯人が首を落としたものらしい。
切腹って言っても、切るどころか、突き立てるだけでも、困難なものらしい。
突き立てようとすると、小刀を構えてうつぶせにあるしかなかったらしい。
そうなると、介錯人は首を落とせない。
で、ほとんどは「扇子腹」だったそうです。
「腹を切って敵に投げつけた」なんていうのは「宋の誇張癖」。
現実には生理的に、あり得ない話ですって。
それにしても、こんな事を書いていたら、腹の皮が痛くなってきた。
もう、やめよう・・・
              
        
「れ」の江戸ガルタは「良薬は口に苦し」。
薬の効能としても、口に苦いのは効くような気がしますね。
薬といえば、服用するのに「毎食後1回」って処方してあるの、あれ食後に飲むのを忘れても、気にしないで食間に飲んでもいいんですってね。
薬剤師に聞くと「食後服用」は、忘れにくいように、食後に毎度って教えるらしい。
          
で、有名な座薬の話。
フランス人って座薬が好きらしい。
自慢じゃあないが、ぼく、「お」フランスで胃痙攣で緊急医療をうけたことがあるんです。
もちろん、モルヒネをお尻にガーンと打たれたんですが、そのあと座薬なんですよ。
ぼくは、それまで座薬にはお目にかかったことがなかった。
いまから思うと、フランス語を聞き間違えて「座って、口から服用」しなかったもの。
そのあとのフランス語、困ったねぇ。
医者は「生肉以外はたべるナ」って言うんです。
ね? あんただって、聞き間違えと思わない?
「生肉はたべるナ」って。
ぼくらの感覚としては、食養生は、お粥か、オートミールのような植物性の流動食でしょう。
「そんな消化に悪い物はたべては駄目。生肉だけ。」って言ってるとわかるまで頭混乱しましたよ。
それにしても、外国では病気はできないなア。
あたりまえの事ですが・・・
             
次の「そ」は京ガルタも大阪も「袖振り会うあうも、他生の縁」。
他生ってのは、前世からの因縁。
こんなにして出会うのは前世では親兄弟であったとかの深い因縁だという意味らしい。
輪廻転生が信じられていない今、これを言うと「多少」に聞き間違えられる。
「だだの多少だけの縁ですか? これからも仲良くしてもらおうと思っていましたのに!」なんて憤然とされたことがあった。
     
江戸ガルタの「そ」は「惣領の甚六」。
惣領は長男。甚六は、おっとりして気のよいこと、すこしぼんやりしていること。
一人子、一男一女が普通になるとみんな惣領ですもんね。
世の中、少しのんびりになるのかなぁ。
次男以下はカシャカシャして、要領よくせせこましいもんね。
ええー、ぼくは次男。思いあたる。
           
「つ」は京も江戸も「月夜に釜を抜く」。
月夜は明るいからと安心していたら、こんなときに限って大事な釜なんぞを盗まれる、って意味らしい。
町中で追い剥ぎに遭うのは常時になりましたね。
「犯人は外国人ふう」なんて報道が多い。
それにしても、銀行や、特定郵便局のカウンターには鉄柵をつけてぇ。
強盗の巻き添えを食うのは、かなわんよ。
        
大阪の「つ」は「爪に火を灯す」。
電灯のない時代には燈火はろうそくか、灯油でした。
「爪に火を灯す」はケチとかシマツなんてものではなく、ただの赤貧洗うがごとしって、感じるけど、大阪人は、「爪に火を灯して貯めた虎の子を(悪徳商法に)騙しとられた」っていうから、倹約する、って程度のものを「爪に火を灯す」っていうらしい。
そういえば、「竈のしたの灰まで」って言い方も、大阪にはありますね。
さすが、アキナイの都のカルタは違う。
          
「ね」の京ガルタは「猫に小判」。
「豚に真珠」とも、いうけどこれは翻訳臭がするなあ。
ものの値打ちがわからない、なんて人ごとではないですよね。
           
昔々、旧家のご隠居さんが、あることのお礼に、古丹波の籾入れ(中型の壺)をくださったことがありました。
それから、しばらくすると息子さんが走ってきて
「年寄りが、汚い物を差し上げて、たいへん失礼なことをしました」
って、ピカピカの壺を、追加してくださいました。
これも、悪い物ではなかったのですが、値打ちは一桁ちがいますよね。
そのあと聞きますとご隠居さんがなくなられて、古丹波コレクションは散逸したとか。
この古丹波の壺に、中秋の名月にはススキと萩をいけることにして、わざわざ庭に植えていました。
室町と思われた、この壺は震災で粉々になってしまったけど、新品のピカピカは助かって、今でもあります。
そんなもんでしょう? 傘でもボロ傘はいつまでもある。
で、僕たちのやった「猫に小判」
ある華僑のかたから、鳥のローストをいただきました。
入れ物は仰々しいのに、貧相なのが入っていましてね。
しばらく冷蔵庫に入れていましたが、腐らせるのも惜しいから、食べようと開けると、なんと、トサカから爪の先までついているんよ。
うちのカミさん「ギャー!」。
「ひとにものをくれるのに、頭と足ぐらいとれッ」って、怒りながらブチ切りました。
食べてみると、どうも鶏ではないんですね。
ほかの中国人に訊くと、
「それ鴨」「トサカから爪の先までつけるには、剃刀でのこしらえをしなければなりません。どんなに手がかかるか! ひとに鯛を贈るのにお頭を落とすことはないでしょう?」
って、呆れられた。
我が家に伝わる「豚に真珠」ならぬ「倭人に鴨」のおハナシ。
          
大阪ガルタの「ね」は「寝耳に水」。
奈良時代には、今の大阪市街は湾だったそうで。
上町台地だけが陸地で、岬になっていたそうですね。
そこへ大和川が流れ込んでいたんですか?
大和川を付け替えるまでは洪水に悩まされていたそうですね。
「寝耳に水」って諺は、水都ならではのもの。

        
江戸ガルタの「ね」は「念には念を入れ」
日本人の細工の上等さはこれからきているのかなぁ。
「石橋を叩いて渡る」ってのは、ゴロからして西洋諺の翻訳らいしけど・・