いろはガルタ・六
    
いろはガルタの「な」の京カルタは「済(な)すときの閻魔顔」。
これは貸す側から見た金銭貸借。
むかしはお金に行き詰まったら、親兄弟とか友人知己からお金をかりることになりました。
このカルタ歌には、上の句がついて「借りる時の恵比寿顔、返すときの閻魔顔」っていいました。
まあ、借りるときは、もみ手をして「助かります」なんて感謝するけど、催促されて返済するのはしんどいですから、閻魔さんみたいな不機嫌な顔になる、って意味に使われていました。
まあ、めったに人には金をかすものではない、って意味。
    
今時、こんなことを言っても誰もピンとこない。
いまは、お金を借りるのは、サラ金ローンですよね。
で、借りる立場から言うと、
「貸すときの恵比寿顔、取り立てるときの閻魔顔」
ってことになる。
ええ? 「貸すときは、おジドウ顔?」
           
大阪の「な」は「習わぬ経は読めぬ」。
お経は意味不明の暗記ごとですから、習わないと読めない道理。
でも、落語にでてくるワルは、口からでまかせのお経をよむことになる。
あれを聞いていると、坊さんが詠んでくださるお経より、本物のような気までしてくる。
そういえば、江戸ガルタには「門前の小僧、習わぬ経を読む」ってのがありますね。
          
お経はサンスクリット語で書かれた、って事になっているけど、本当は、ほとんどは当時の俗語のパーリー語だったらしい。
それも釈迦が死んでから500年も経ってから書かれた教典。
これを羅什っていう破戒僧が、中国語に音取り翻訳したものらしい。
この教典と翻訳がいいかげんだったお陰で、どうにでも解釈できることになった、とか。
仏教は小乗(上座)と大乗とに大きく分けられるけど、大乗だけでも無数の諸派ができてきました。
だから、仏教は異端の大河、って言う。
               
江戸ガルタの「な」は「泣き面に蜂」。
なぜか、幸運は単独でやってくるけど、不運は団体でやってくる。
でも、長い目でみると不運が、そのごの人生にとっては幸運だった、ってことはよくある。
        
このことを「人生万事、塞翁ガ馬」って、いいますね。
あの話、どんなだったっけ?
塞っていうのは国境の砦のことでしたっけ。
この辺境に住んでいた翁(年寄り)のところへ、ある日駿馬が迷い込んでくる幸運があった。
ところが、喜んで、この馬に乗っていた息子が落馬してビッコになる不運に見まわれました。
この不運を嘆いていると、戦争が勃発して、みんなが兵隊にとられて、死んでしまったけど、ビッコになっていたお陰で、息子は生き延びた。
って、話でしたよね。
「手放しで有頂天になるほどの幸運はないし、絶望するほどの不幸も、人生にはない」って教訓は、この年になって思い返して見ると本当のように思える。
          
京ガルタの「ら」は、「来年のことを言うと、鬼が笑う」。
来年のことって不確かなことですよね。
こんなことを「言う」のはお笑いごとなんでしょうねぇ。
でも、凡庸なわれわれは、不確かな明日(将来)のことを思いわずらって生きていますね。
自分の命すらが不確かのに・・・
       
大阪ガルタは「楽して楽知らず」
いまの日本では、飢え死にの恐怖は現実にはありませんよね。
でも、こんな楽をしていても、戦後に飢餓を体験した世代は、今の楽を知っていますがね。
ありがたいと思って暮らしています。
ぼくは、幸福遺伝子の多い生まれつきなんかなぁ?
      
江戸ガルタは「楽あれば、苦あり」
少しわかりにくいけど「世の中は楽なことばかりが続くこともなければ、苦ばかりが続くこともない」って意味だそうです。
           
西洋の諺に「隣の芝生は青い」ってのがあるけど、はたから見ると幸せいっぱいに見える家庭だって、いろいろ悩みを抱えているもんですよね。
でも、落ち込んでいる時には道を歩いている人が、みんな幸福で悩み事がないようにみえる。
自分だけが不幸だなんて孤独を感じるけど、みんな少しばかりの幸せと不幸を抱えているもんなんですよね。