いろはガルタ・四
        
京ガルタの「よ」は「夜目遠目傘のうち」。
サングラスをかけて運転している人って美人にみえますね。
あれは、「傘のうち」なんかなあ?
これの反対は「家族に尊敬された英雄はない」。
近いとアラが見えすぎるのかなぁ。
「同時代人に理解される天才はない」ともいいますが、これはこの歌とは関係ないのかなぁ。
宮沢賢治って、生前は一枚の原稿も売れなかったんでしょう?
また、話が迷走しはじめたから、次に行こう・・・
         
大阪ガルタの「よ」は「横槌で庭を掃く」
急な来客にあわてるさま。
ところで、「ご馳走さま」って挨拶言葉がありますね。
あれは只でものを食わせてもらった時の、お礼の挨拶に遣われますね。
でも、語源は字面どおり、馳け走ることへの感謝ですね。
お招きにあずかった場合にも言いますし、食べ物をだされなくても、表に水が撒いてあったのだけでも馳走に与ったことになるんですから、「ご馳走」を感謝する意味だけに遣ってもいいんですね。
食べ物屋で勘定をしてもらうときに「おあいそ」なんて、本来店が気遣して遣う言葉を言う人があるけど、あんな時には「ご馳走さん」って声をかけるのが奧床しい。
        
江戸ガルタは「葦(よし)の髄から天を見る」。
「あし」は悪しに通じるから「よし」と言い換えた、と言いますが、近江では中空のないのが「よし」。中空の髄があって天をのぞけるのが「あし」と区別していますね。
で、「よし」で簾とかを作るとか。
「髄から天を見る」っていいますが、ひとは自分の目線でしか、ものを見ないってことでしょうね。
品性下劣なのは、ひとをそんなにしか見られない。
いまだに拝金主義者っていますもんね。
拝金主義者って言うと、テレビで「お宝拝見」って番組があるでしょう。
あれ、たいていは、「おじいさんが大事にしていた。見てあげて」って、ですが、出品者なかには、偽物に、巨額の評価をつける人ってありますね。
時々プロデューサーが意地悪するらしい。
偽物っていわれて、ガックリするのを見ると、おもしろい。
こちらも、意地悪を楽しんだりしてぇ・・・
あれ、文明評論的なんだなぁ。
           
京ガルタの「た」は「立て板に水」
宴会の余興に、「ガマの薬売り」をやる人があるけど、毎回やるのは「隠し芸」って、いえるのかなぁ。
それにつけても、テレビショッピングの「立て板に水」は感心する。
むかし夜店の香具師の口上を聞くの楽しかったけど、いまだに口を開けて聞いている。
ボケ促進の効果があるんだろうなぁ。
              
大坂ガルタは「大食上戸餅くらい」。
大食いしたうえ、酒を飲み、さらに餅をくらうこと、らしい。
割り勘なのにこんなのがいるとうんざりしますよね。
あんたの友達にない?
ところで「上戸」が、何で、酒飲みって意味になるのかなぁ?
字引を引くと、上戸は金持ち、下戸は貧乏人ってことからくる、って書いてある。
貧乏人でも大酒飲みっているよね。或いは大酒飲みで、貧乏になったヤツとかね。
         
これに比べれば、酒飲みを左党っていう語源は簡単。
石工が「左に鑿、右に槌」ってことから「左はノミ」っていう、しゃれ。
それにつけても、カルタ歌でも土地柄があるんですね。
と、言うと江戸カルタは「旅は道連れ、世は情け」
江戸時代には江戸の人間は旅好きだったようで、何年目かにはお伊勢さん参りの大ブームがあったようですね。
伊勢の御師(おし)っていうトラベル・エージェントがいて、パック旅行を組織していたらしい。
伊勢講なんてのは、町内で旅行費の積み立てまでしていたらしい。
いまでも、日本人って旅行好きですもんね。
頭のいい国民だから、好奇心が旺盛なんでしょうね。
ね、「頭のいいせい」って、ことにしておこう!