いろはガルタ・参
       
いろはガルタの「る」は京ガルタも大阪ガルタも「類をもって集まる」
まあなんですなぁ、気のあった似たものが集まるのが気安いですからね。
でもねぇ、趣味の会なんて気の合う似たものだと思うんですが、絵画のばあいは類とはいえないですね。
絵画とは全く関係のない同窓会的な会で、創立記念の絵画展をやろうとしまして、会員に出展を呼びかけたことがありました。
記念の絵画展を企画したぐらいですから会員には自称プロとか、セミ・プロとかがたくさんいらっしゃるんです。
色好い返事が集まらないものですから、世話役としては、一々勧誘をはじめました。
何と、その返事が「他の会派の人と、一緒に展示されるのは困る」って言うんですよ。
それが1人や2人ではないの。
そんなぎょうぎょうしいことを云う大物ではないんですがね。
公募展に1,2度入選したかどうかのレベルの人なんですがね。
「絵を描いていると心が狭くなるのかなあ?」なんて、世話役で絵画心理分析をするはめになったことがあります。
        
江戸ガルタの「る」は「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
優れたものは、種類はちがっても、照らせば同じように光る、って意味。
        
いろはガルタの「を」は京ガルタでは「鬼も十八」
これは、続けて「番茶もでばな」っていいますね。
生き生きした若い人ってそれだけで、美しいですもんね。
でも、鬼とか番茶なんて持ち出しているところを見ると、「若いだけヤ!」なんて嫉みの気分ですか?
ところで、鬼っていうのは「さんか(山窩)」を言うそうですね。
山窩って水田農耕にそまらない、縄文ふうの狩猟採集民のことですが、この山の民が特別珍しくはなかった頃は、せいぜい天狗だったのに、まれになると鬼と呼ぶようになったといいますね。
やまんば(山姥)は鬼に近い感覚かなぁ。
東北地方の猟師のことをマタギって呼ぶけど、山の民っていえば、お椀とかを山に入って作る木地師は、今は木曽が有名ですが、近畿地方にも多かったそうですね。
炭焼きもそうですか?
山岳信仰の行者さんも、これに近いのかなぁ。
ところで、役行者(えんのぎょうじゃ)って、いろんなところに足跡がありますが、あれはでたらめだけとは限らないで、グループだったり、その縁者であったと言いますね。
時代をこえた複数の人だったらしい。
時代をこえた複数の人を一人と考えるから、年齢を何百歳ということにつじつまを合わせることになったらしい。
それに長寿信仰から、何百歳ということにすると、超人とか異界人を連想させることにもなるしね。
        
大阪ガルタの「を」は「鬼の女房に鬼神」
「鬼の亭主に蛇(じゃ)の女房」とも云う。似たもの夫婦。
               
江戸カルタの「を」は「老いては、子に従う」です。
これだけ世の中が変わる時代には、年寄りの知識経験って、役に立たなくなりましたね。
エジプトの古墳から出土した数千年前の粘土板にも「最近の若い者は・・・」って年寄りの嘆きが書いてあるそうですから、世代間の断絶は、いつの時代でもあったようですが、トフラーの言葉でいう「第三の波」に洗われている現在では、世代間のものの考え方が違っているのは当然かもしれない・・・
         
いろはガルタの「わ」は京ガルタでは「笑う門には、福きたる」
男は「3年に一度片頬」って、3年に一回だけ、それも片頬だけで笑うのがいい、とされてきた時代が続きましたね。
でも、室町時代にまで遡らなくても、江戸時代でも、笑い転げたり、泣くのにも大声を上げていますよね。
日本人って、おおらかな伝統をもってきたようですから、せいぜい大げさに笑いましょう。腹膜を笑いで刺激するのは健康にいい、なんて小難しいことをいわなくても、気分がよくなることはたしか。
             
大阪ガルタの「わ」は「若いときは二度ない」
ごもっとも。将来の基礎を築くか、無駄にすごすかは本人しだい。
            
江戸カルタの「わ」は「割れ鍋に綴じ蓋」。
これ「割れ鍋にでも、相応の綴じ蓋があるように、どんな男にもふさわしい配偶者がある」ってことになっているけど、貴方こんな意味にとれます?
割れ鍋なんて、なんの役にもたたないんでは?
役にたたない割れ鍋に、綴じ蓋をかぶせても役に立たない。
大辞林の解説は納得できない。
いずれにしても、割れ鍋レベルの私としては、まともな綴じ蓋の女房では申し訳ない気分ではありますが。
          
これとは直接は関係ないのでしょうが、「悪妻は一生の不作」って言葉がありますね。
あれ、下の句は「悪夫は生涯の凶作」って、続くらしい。
悪妻はただの不作。悪妻では作物が半分しか稔らない程度ですむけど、悪夫は凶作ですから、全く稔りがない、ってことらしい。
そらあ、不作は辛抱すればいいけど、凶作では飢え死にする。
都合のいい上の句だけつかうのは卑怯。
ね? 男って卑怯でしょう。
           
京ガルタの「か」は「蛙の面に水」。
いけしゃあしゃあとした破廉恥のことですね。
破廉恥といえば、「高級官僚のスキャンダルが続く」って言うけど、高級官僚のスキャンダルが突然でてきたわけではないですよね。
たまたま、続けて摘発されただけ。
それも内部告発があって・・・
心ある官僚も多いけど、言い出せない雰囲気だったんでしょうね。
目立っていたけど、たまたま蛮勇のある外務大臣が現れて、内部告発ができる雰囲気になって、暴かれたってことですよね。
マスコミは「昨年の脱税額は○○億円だった」って言い方をするけど、あれは「摘発された脱税額は」というべきですわな。
なんか、それ以外に「蛙の面に水」の脱税がないように聞こえる。
              
大阪ガルタの「か」は「陰裏の豆もはじけ時」
えげつない歌ですが、どんな娘でも年頃になれば色気づく、って意味らしい。
              
江戸ガルタの「か」は「かったいの瘡うらみ」
かったいはハンセン病のこと、瘡(かさ)は梅毒。
少しでも、軽い病をうらやむこと。