俗語
    
和製英語ってのがあります。
喫茶店へはいると、喫茶店用語ってのがありますね。
あれ、老人は、とまどいます。
まあ、たまにしか行かないから、よけいにとまどうんでしょがね。
熱いコーヒーのことを「ホット」っていうでしょう?
牛乳入りコーヒーのことは、「オーレ」っていうんですか?
あれ、カフェー・オーレのことだと気がつくまで暇がかかったし、いまでも、咄嗟にはポカーンとします。
ぼくの年齢の者は、「食べ物屋の使う隠語を客が使うものではない」って教えてこられたから、よけいに慣れないのかもしれません。
寿司屋で「シャリ」だとか、「ガリ(生姜)」とか、「おあいそ」って言うのは下品だということになっていました。
でも、そう言うひとでも「トロ」とか「キワ」は使いますよね。
そうなると、使って下品になる隠語の範囲もむつかしくなります。
            
話が、もとにもどってしまいますが、牛乳入りコーヒーのことを「ミーコー」っていうの知ってますか? 50年まえには、たしかそういってました。
いまでも、下町のキッチャ店に行くと、メニューにはそう書いてある。
ところが、カフェー・オーレとミーコーって違うんですよ。
ミーコーって、入る牛乳が多く、店によっては砂糖が入っています。
         
下町の喫茶店では、コーヒーに入れるクリームのことを、ミルクっていう店があります。
むかし仕事中に、のどを渇かして駅前の喫茶店に飛び込んだことがあります。
コーヒーを注文して、クリームがついてなかったので、「クリーム持ってきて」って頼んだら、店員さん「クリームですか?」って、アイスクリームをもってこられたことがあります。
この手の注文まちがいに「ひや」と「おひや」があります。
関西では「ひや」はお酒、「おひや」はお水ってことになっていますが、これは使うと間違いの面倒がおこることがあります。
ちゃんとした店では「おさけですか、水ですか?」って確かめてくれますが、「ひや」、「おひや」は隠語とこころえていた方が無難ですね。
これの反対の笑い話に「ウインナー・コーヒーを注文したのに、ウインナー(ソーセージ)がついてない!」とか、「かき揚げを注文したのに、牡蠣が入ってない!」なんてのもありますね。
で、
むつかしい質問をしましょうか。
ロンドンで牛乳いり紅茶を注文するの、英語でどういうか知ってますか?
          
簡単、「ティー プリーズ 」って言う。 エヘッ、ひっかかったでしょう。
英国人は紅茶を飲むのは「普通」ミルクを入れます。
だから、「ティー プリーズ 」だけで牛乳入り紅茶 がでてくる。
正確にはホット牛乳とポットに入れた紅茶がでてきますがね。
       
それいがいを注文するのは、どうするかと言いますと。
これはちょっと複雑。「ストレートティー」とか「ティー(ウイズ)レモン」とか言って、特別な注文をしなければならない。
      
第1問はやさしかった?
つぎは難問ですよ。
お菓子の「シュークリーム」を注文する方法知ってますか?
なに、「シュークリーム プリーズで、なんで悪い?」ですって?
「シュークリーム」って靴墨のこと。
お菓子屋さんで、靴墨がでてくる心配はないけど、「シュークリーム」は「シュー・アラ・クレーム」って、いわなければならない。
フランス語でシュー(キャベツ状のふあふあ皮)に入ったクリームのこと。
英語圏でもしゃれた店では、「シュー・アラ・クレーム」で通じるけど、英語では「クリーム・パフ」って言うらしい。
「クリーム・パフ」って、日本人の語感では化粧品ですよね。
自信がなかったらケーキのショウケースへ行って指さすこと。
指さすのだったら、こんな講釈ひつようではなかった?
         
なんて、こんなに長々と講釈したかといいますと、僕、むかしカナダで恥じかいたことがあります。
どこかで書いたことがあるんですが、レストランで食後、「シュークリーム プリーズ」って言ったら、「いま忙しいから、あとでロッカー・ルームに来て」って、中年のちょっと魅力的な女性に言われたことがある。
「ひょっとして誘われたのかな?」なんて、もじもじしていて、しばらくして、靴墨と間違えて、言ったことに気がつきました。
        
気がつかないと、バーや、クラブで、色男面して店がはねるのを待っているアホがいるでしょう? あれの二の舞。
まだ、バーか、クラブならアホ面もさまになるけど、昼間のレストランでは、ただのお笑いチカンですものね。
                
ややこしい話になりますが、夫の両親のことを「しゅうと」っていいますね。
舅、姑の字をあてます。夫の母親のことは姑の字をあてて、「しゅうとめ」といって父親と区別することがあります。
母親と父親を区別するのは土地によるようですね。
母親を「しゅうとめ」って呼んで区別するのは関西だけかとおもっていたら、そうではないようですね。
ところで、妻が夫の両親と同居するのも、地域によるらしい。この場合は「嫁」ってことばがありますね。
「長男の嫁は、夫の両親と同居するのが日本の伝統だ」っていう人があるけど、あれは伝統とまでいえるほど、広くおこなわれていた習俗ではないんですってね。
結婚した男が独立しないで、両親と暮らすのは下級武士と貧しい地方の人達だったといいます。
よく例に出されるのに伊豆南端の大瀬って集落の「伝統」なんですが、ここでは長男は結婚しても両親と同居。
嫁は親が決めて、当事者は婚礼まで相手の顔も知らなかったってのが、長年の伝統だったそうです。
この土地は江戸時代から戸数はまったく増えてこなかったそうですね。
こんな貧しい土地は、伊豆南端の大瀬だけではなく日本中いたるところにありました。
江戸時代から戸数が増えなかったってことは、土地に人口を養う余力がなかったってことですね。
こんな土地では、一家が生きていくのがやっとですから、結婚は、この「やっと」を維持できるかどうかの重大問題です。
恋だとか、愛だとか、二人の気持ちなんて言っておれない。
子供の嫁取りは、一家が飢え死にするかどうかの大問題。
       
もう一つの例は、下級武士。
下級武士では、長男が結婚して家庭を持っても新しい家屋を建てる経済的なゆとりはありません。
士農工商って、貧乏人の順番なんて言い方がありますね。
下級武士階級は幕末では、とことん貧乏だったらしい。
で、同居。
食べるものも、わずかな米を一緒に食べるわけですから、「しゃもじ」権は嫁を支配する象徴。
江戸時代でも、そのうちみんなが長生きになって、姑も40歳をこえて長生きする。
そうなると嫁は一生悲劇。
中上級の武士階級では、子供が家庭を持つと新しい家屋を建てていました。
江戸時代の武士は中上級ともなると、いまではかんがえられないほどの広大な敷地をもらっていましたから、たとえば三千坪の屋敷のなかに家屋の1軒や2軒、新築するのはわけもない。
三千坪の屋敷うちだと「スープの冷めない」距離での隣つきあい。
でも、中上級の武士階級では結婚の相手は姻戚による出世を願う閨閥政策ですから、嫁は親が一族の利益を思案して決めていたようですが。
        
若衆宿のある土地があったことはご存じでしょう。
これは先輩が後輩にものを教えるのが目的の社会制度ですが、未婚の娘さんのところへ「よばい」するのも、目的にはいっていました。
ということは、自由恋愛。
娘さんのほうも、男を選べる。
身持ちの堅い娘さんでも4,5人の相手との婚前交渉があったといわれています。
こんな土地では離婚はほとんどなかった、って古老は自慢しますね。
そうかもしれない。
ことのなりゆきで、未婚の母ができてしまったようですが、若衆宿があったのは豊かな土地柄ですから、赤ちゃんの引き取り手はたくさんあった、っていいますね。
ですから、明治になって、若衆宿は「文明開化なんだから、野蛮な風習は禁止する」ってことになった時、こんな土地の娘さんらは「私ら結婚できない」って嘆いた、って話が残っています。
こんな土地では結婚って恋愛結婚いがい考えられなかったでしょうから、「私ら結婚できない」って思ったんでしょうね。
舅姑は別に同居するわけではありませんので、「息子が気に入った相手と結婚」することに寛容だったんでしょうね。
寛容でないと恋愛結婚なんて成り立たないですものね。
        
で、ごぞんじのとおり、明治政府は下級武士階級が纂奪した政権ですから、自分たちの習俗が一番文明的だと考えて、「婚姻は、親がきめるもの。長男の嫁は舅姑と同居して、姑は足腰たたなくなるまで、『しゃもじ権』は渡さない」ってことになり、姑は文明開化のおかげで60歳になっても元気になって嫁の悲劇は一生続くことになってしまった。
        
自由恋愛と見合い結婚と、どちらが文明的だと、いちがいには言えないけど、「長男の嫁は舅姑と同居して、仕える」のが日本古来からの醇風だという人がいたら、よほど貧しい土地の出か、文明開化かぶれだと考えてもいいかもしれない。
       
例によって、ホット・コーヒーの話がめちゃめちゃに脱線してしまいました。