戦中派
       
先日、近江八幡の休暇村に泊まりにいきました。
休暇村近江八幡は琵琶湖の渚にありまして、西に面する湖の彼方に比良山を望むことができます。
休暇村の全室が西を向いていますので、遙か比良の向こうに沈む入り日が、正面に眺められます。
休暇村のことですから、夕食も大食堂でとることになっています。
連泊しましたが、第1日目は、ほとんどが70歳代の戦中派のみなさんでした。
          
いやー、異様な感じなんですね。
ご婦人がた全員が「帯しろハダカ」。
「帯しろハダカ」は何度か書いてきていますが、ちゃんとした帯をしないで、浴衣とかで紐帯をしていることですよね。
これは日本の風習では「ハダカ」ですから、上品とか下品とかではなく、人は避けます。
それに休暇村で部屋に用意しているのは浴衣とは言えない、寝間着です。
まあ、この寝間着を浴衣と見なしても、べつに悪くはないでしょうけど・・
紐状の帯はダメ。
          
ダメまでいうのは言い過ぎかもしれません。
「男が袴を着けないで、着流しで人前に出るものではない」とまでいうのは堅ぐるしすぎるかともおもいますが、女性の「帯しろハダカ」は異様なかんじが僕にはします。
ね、
高級旅館に泊まると寝間着の他に浴衣を用意してますが、浴衣には幅広の帯も用意しているでしょう?
     
料金がリーズナブルといっても休暇村に夫婦で泊まっている人達ですから、まあ、世間でいう中流以上の人達でしょうね。
僕が非難がましい目つきで見たらしくて、数人のご婦人は、具合わるそうにモジモシなさっていたから、「しまった」って感じられたらしい。
「しまった」って感じられたらしい数人は、翌日の朝食には、ちゃんと服を着ておられました。
              
戦中戦後には、しっかりした家庭でも、母親が娘に躾を教える機会がなかったことはわかっています。
だから、戦中派の女性には、僕の世代はわりあい同情的なつもりなんですよ。
それだのに、非難がましい目つきをしたんかなぁ。
  
食堂は湖面が見えるように大きなガラス窓で開けています。
だのに、誰も夕焼けの景色を見ようとしないんですねぇ。
むかし僕はある先輩に、「こんな美しい景色を、何故見ないの?」って言ったことがあります。
この先輩、「できた人」でして、気をわるくもしないで、「夕景、苦手なんだヨ。兵隊の時のことを思いだすんヨ。毎日歩哨に立って、目をこらしていたからネ」って弁解なさるんですね。
それからは、非難がましいことはひかえてきたけど、「戦争を知らない」世代にとっては「戦中派って、人生の楽しみ方をしらない無粋人なんだなぁ」って思える。
徒然草で兼好も言っている。
「死ぬのは惜しくはないけれど、この空が見られなくなるのは惜しい」って。
          
ところで、この後の見聞記。
この休暇村の東館、湖の方に向かって、玄関への車の進入路がテラス状に大きく張り出しているんですが、ここにご夫婦連れが立っていらっしやいました。
ちょうど夕日が比良に掛かっているころでして。
奥さんは車椅子にのっておられて、熱心に夕日を観ておられるんです。
隣で立っている、ご主人は景観に背を向けて煙草を吸っています。
           
しばらくすると、奥さんが下の渚へ行きたい、って言い出したらしい。
やおら、車椅子を押して進入路の下り坂をおりはじめるんですワ。
緩い下り坂ですけど、乗っているほうは前向きだと怖いんですね。
奥さんから文句がでたらしくって、やおら方向転換して、逆方向に引っ張りはじめました。
このご主人、これを黙々とやるんですわ。
            
僕は「乗せてもらっているのにガチャガチャ言うな。それにテラスから観ても、渚まで降りてもおんなじじゃあないか」って、ひとのことまで腹立てていましたね。
僕が女房を車椅子に乗せていたら、言うことを聴かないでしょうねぇ。
貴方ならどう?
            
この戦中派のご主人の優しさ。ただものではない。
戦中派は情趣を解しないなんて言って、ごめんなさい。
情趣は解しなくても、「帯しろハダカ」だっていい。
人間の一番大事な優しさがあれば・・